萩原朔美 著
土方 巽
寺山修司 との エピソードが 書かれている
ワタシが 出逢いそこなった昭和
暗黒舞踏 と 演劇実験室・ 天井桟敷
観たかったなぁ と 改めて 感じる
美術評論家 東野芳明氏の言葉
忘れないよう 書き写しておこう
~~「文化の主体は、作り手ではなくて、受け手なのだ。
新しい美術が‘わからない‘ときめつけられるのも、
それを自分の時代のなまなましい表現としてうけとめる、
観衆の厚みがないからだ。 中略
もっとも、ここでいう受け手とは、教養にやに下がった、
受け身だけの鑑賞者のことではない。
いわば 文化の大食漢、油ぎった趣味人、
雑学の大家、知識好奇心の塊り人間である。
軽薄に言えば、時代をつき動かしていく
創造的な受け手である。 後略 」~~
ワタシの昭和は
無理解 無金 無文化の三重苦に
果てしなく 拘束されていた
( 平成の今も たいして 変わっちゃいないが )
「時代をつき動かしていく創造的な 受け手」
なるものには なりたくとも なりようもない
環境だった。
と 今更 ジブンの人生に 呪詛の言葉を
吐いても 時は 戻らない
寺山戯曲は たびたび上演されているので
今も観る機会は たくさん ある
ありがたいことに
活字や 映像 絵画 写真・・・は
リアル・タイムでなくとも
観ることも 感じることも できる
まぁ 若いときに 観ていたら
もっと 何か 感じただろうに ってものも
あるけどね・・・
最近じゃ けっこう 多いね・・・
ちょっと ココロに感じた ( 当たった ) 文章が あったので
これも 書き留めておこう
~キンキラの服は、他人の視線が気にならないから着るのではない。
自分の歳が心とずれている結果なのだ。
私はこれを 「年齢同一性障害」 と 名付けている。
自分の年齢と心との 不一致。
だから、周囲からは異様に みえてしまう。
本人の心と服はマッチしているのだ。 中略
心は一体いつ歳を取るのだろうか。
いつから心の老化は始まるのだろうか。
心の加齢は自分ではどうすることも出来ない。~