アレクサンダー・フレミングは、1881年、スコットランドのエアシャー地方、ロッホフィールドの農場で生まれた。父親は農夫で、アレクサンダーは父親が59歳のとき再婚した後にもうけた4人の子どものうちの、上から3番めだった。父親は前の妻とのあいだに4人子どもがあったという。アレクサンダーが7歳のとき、父親は没した。
田舎の農場の貧しい環境に育ったアレクサンダーだったが、彼は医学の道を志した。ロンドンへ出て、奨学金を得たり、船舶会社に4年間勤めたり、親戚や、先に医者になっていた兄から学資を援助してもらい、22歳のとき、ようやく病院の医学校に入学した。
医学校卒業後は、学校の病院に就職した。1914年、フレミングが33歳の年に第一次世界大戦がはじまると、彼は召集され、戦地のフランスに渡り、負傷した兵士の治療にあたった。このとき、感染症によって負傷兵たちがつぎつぎと死んでいくのを目の当たりにして、感染症治療の必要を痛感し、細菌学研究の道へ進んだ。
47歳のころ、フレミングは研究室でブドウ球菌の実験していた。たくさんの皿を並べ、それぞれの皿のなかでブドウ球菌を培養していたのだが、その実験では、培養皿を密閉せず、菌を空気に触れさせる必要があった。そのため、空気中の細菌が培養皿に舞い降りて、ブドウ球菌が細菌に汚染され、実験に使えない皿もでてくるわけだが、あるとき、フレミングは、青かびがつき、繁殖して使えなくなった培養皿に、ふと目を止め、驚いた。ブドウ球菌のなかに点々と青かびの勢力範囲ができているのだが、青かびの周囲の部分が、透明になっているのだった。この透明の部分は、ブドウ球菌が溶かされてしまっていることを意味していた。すると青かびには、ブドウ球菌を撃退する「力」があることになる。
これが、ペリニシリン発見の瞬間だった。
フレミングの研究成果を手がかりに、多くの学者がさらに実験を重ねて、感染症に効く「魔法の弾丸」ペニシリンが開発された。ペニシリンは、第二次大戦において、数えきれない負傷兵たちを感染症から救った。
フレミングは、63歳のとき、ペニシリンの開発にかかわった2名の学者とともに、ノーベル医学生理学賞を共同受賞した。フレミングはエディンバラ大学の学長を務めた後、1955年3月、心臓発作のため、ロンドンで没した。73歳だった。
ペニシリンのアレクサンダー・フレミング、007シリーズの作者イアン・フレミング、「左手の法則」の物理学者ジョン・フレミング、三人のフレミングはみな英国人である。
細菌学者たちは昔から日々実験するなかで培養中の細菌のなかに、べつの汚染物質がまぎれこんでしまい、細菌がだめになっているのを、よく目にしていた。それを学者たちは、
「ああ、この菌は不純物が入ってしまったから、使えなくなった」
と、培養皿を捨てていた。でも、フレミング博士は捨てずに踏みとどまった。
「いや、待てよ。これは、かびが、細菌を殺しているということなのではないか。つまり、病原菌を退治しているということなのではないか」
と、その重要性に気づいた。気づきのえらさ、である。
自分たちも、日々、なんとなくながめ、見過ごしている風景のなかにも、踏みとどまってみれば、とんでもない大発見の種がちりばめられているのかもしれない。
(2015年8月6日)
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