8月4日・ルイ・アームストロングの美唱 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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8月4日は、詩人シェリーが生まれた日(1792年)だが、ジャズトランペッター「サッチモ」こと、ルイ・アームストロングの誕生日でもある。

ルイ・アームストロングは1901年、米国南端の街、ニューオリンズで生まれた。街の貧しい地区の貧しい家庭だった。ルイが幼いとき、父親は女を作って、家を出ていった。母親も家を出て、ルイと三つ年下の妹は祖父に預けられたが、ルイが5歳のころには母親はもどり、いっしょに暮らしはじめた。
ルイの母親はからだを売っていたという。ルイは新聞配達をし、捨てられた食べ物をレストランへ売り、また、11歳で学校をやめてからは、仲間と少年カルテットを組んで街角で歌ったり、またユダヤ人の廃品回収業者を手伝ったりして母親を助けた。
街の不良少年だったルイは、悪さをしてはつかまり、ニューオリンズの黒人浮浪児用施設に何度も入れられた。彼はその施設のバンドでコルネットを演奏し、腕を磨いた。彼はまた、施設長に可愛がられ、個人的に音楽レッスンを受けた。そうして、施設のバンド・リーダーに指名された。
14歳のとき、施設を出たアームストロングは、ダンスホールで演奏するバンドマンの職を得、街のパレードでもブラスバンドとして演奏するようになり、譜面を見て演奏するなど音楽の幅を広げ、ミュージシャンの知り合いも増えた。やがてシカゴへ旅立った先輩の後任として、バンドでトランペットを吹くようになった。
20歳のころには譜面を読めるようになっていたアームストロングは、曲のトランペットのソロの部分を引き延ばして演奏するようになり、いかに個性的な音を出すか工夫をし、歌も歌いだした。
21歳の年に、先にシカゴへ旅立っていった先輩トランペッターに呼ばれて、アームストロングもシカゴへ移り、そこの楽団ではじめてのレコーディングに臨んだ。
その後、ニューヨークへ移り、またシカゴへもどったりと、バンドを移籍しながら、アームストロングは音楽キャリアを積んでいった。
25歳のときには、音楽史上初となるスキャットをレコードに録音。スキャットは「ダバダバドゥビドゥバ」などという風に、声を楽器として即興で歌うもので、これはレコード録音中にアームストロングが歌詞を書いた譜面を落としてしまい、アドリブで歌ったのがそのまま採用されたものだと言われている。
彼は「Such a mouth! (なんていう口!)」に由来すると言われる「サッチモ」の愛称で親しまれた。ヒット曲に「バラ色の人生」「キッス・オブ・ファイア」「ハロー・ドーリー!」「この素晴らしき世界」などがあり、出演映画に「上流社会」「5つの銅貨」「ハロー・ドーリー」などがある。
1971年7月、ニューヨークで心臓発作により没した。69歳だった。


映画「女王陛下の007」の挿入歌「We Have All The Time in The World(愛はすべてを越えて)」が、自分が初めて聴いたサッチモの歌かもしれない。

以前、テレビで女優の大竹しのぶさんが「人生の最後に聴きたい一曲」として、ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界(What a Wonderful World)」を挙げていた。なるほどなあ、と。サッチモの独特のしゃがれ声は、ほんとうに美しい。
(2015年8月4日)




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