3月4日・ミリアム・マケバのパタパタ | papirow(ぱぴろう)のブログ

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3月4日は、ゴロ合わせで「ミシンの日」。この日は作家、有島武郎が生まれた日(1878年)だが、歌姫ミリアム・マケバの誕生日でもある。

「ママ・アフリカ」ミリアム・マケバは、1932年、南アフリカ共和国のヨハネスバーグで生まれた。母親は薬草を調合するヒーラーで、父親はミリアムが6歳のとき亡くなった。
小学校のころ、合唱部員だった彼女は、18歳のころ、ジャズ・バンド「マンハッタン・ブラザーズ」のシンガーとなった。そのバンドを抜けた後、女性だけのグループで、ジャズとアフリカの伝統音楽を合わせた音楽をレコーディング。1956年、24歳のときに、シングルレコード「パタパタ(Pata Pata)」を発売。南アフリカで大ヒットした。
27歳のとき、彼女は、米国の映画監督が撮った、反アパルトヘイトのドキュメント映画「カムバック・アフリカ」に出演した。映画は批評家賞を受賞した。これをきっかけに、マケバはミュージカルやテレビ番組に出演するようになった。
28歳で米国で最初のレコードをリリース。一躍、人気歌手となり、1962年には、ケネディ大統領の誕生パーティーでも歌った。
31歳のとき、国際連合において、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)の現状について証言。これが母国、南アフリカの政府を激怒させ、南アフリカは、マケバの市民権を抹消し、彼女の帰国を認めない旨を宣言した。
マケバは国籍のない人間となったが、ギニア、ベルギー、ガーナなどが救済に名乗りをあげ、相次いで彼女に国際パスポートを発行した。その後も、同様の申し出は続き、結局、マケバは、九つの国のパスポートと、10の国の市民権をもつことになった。
34歳のとき、マケバはベラフォンテとともにグラミー賞の最優秀フォーク・レコード賞を受賞。「パタパタ」は1967年、米国で発売され、世界的な大ヒットとなった。
その後、マケバはギニアへ、またベルギーへと居を移しながら、ギニアの国連代表として国連総会で演説し、米国のミュージシャン、ポール・サイモンといっしょに世界をコンサート・ツアーでまわった。
1988年6月、英国ロンドンで、ネルソン・マンデラの70歳の誕生日を祝うイベントが開かれた。これは、南アフリカでアパルトヘイト政策に反対して投獄されたマンデラをたたえるコンサートで、ミリアム・マケバも出演した。この模様を、世界6億の人々が見たという。そうした効果が、西側諸国を経済制裁へ動かし、1990年、南アフリカ政府はネルソン・マンデラを釈放し、アパルトヘイト関連法を廃止した。
自由の身となったマンデラは、マケバに帰国するよう説得し、彼女は1990年6月、ついに故国の土を踏んだ。このとき、彼女はフランスのパスポートで入国した。
その後、マンデラは南アフリカ大統領となり、ノーベル平和賞を受賞。ミリアム・マケバは、国連機関の親善大使を務め、2008年11月、イタリアで、犯罪組織に反対するコンサートに出演中、心臓発作で倒れ、病院で息を引き取った。76歳だった。

世界的な歌姫ミリアム・マケバは、反アパルトヘイトの闘士だった。歌の力を利用して、国内の問題を、外側から正そうとした、銃や爆弾を持たない革命家だった。
自分が小中学生のころは「オクラホマミキサー」「マイム・マイム」と並び「パタパタ」がフォークダンスの定番だった。そんな熱い人が歌っていた曲とは知らずに踊っていた。
(2015年3月4日)


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