ジョン・フォードは、1894年、米国メイン州のケープ・エリザベスで生まれた。本名はジョン・マーティン・フィーニー。両親はアイルランドからの移民で、ジョンは、11人きょうだいの下から2番目だった。父親は農場、漁業、ガス会社、酒場など、さまざまな事業を試みた人物で、市会議員にもなった。
ジョンより12歳年上の兄フランシスが、先にカリフォルニアへいき、映画の仕事についてていた。ジョンは地元の高校を出た後、カリフォルニア州にいる兄を頼っていき、映画関係の仕事を志した。
ジョンは、当初、兄の助手としてスタートした。彼は兄の映画の雑用係、スタントマン、俳優、カメラマンなど、なんでもこなした。俳優としてはじめて映画出演したのは、20歳のときだった。そして、23歳のとき、初の監督作品「台風」を発表。
以後、ハリウッドを代表する映画監督として「男の敵」「駅馬車」「若き日のリンカン」「怒りの葡萄」「タバコ・ロード」「わが谷は緑なりき」「荒野の決闘」「三人の名付け親」「黄色いリボン」「静かなる男」「ミスタア・ロバーツ」「荒鷲の翼」「西部開拓史」など、数々の名作を世に送った。
第二次大戦中は、志願して軍の映画撮影班として従軍し、ドキュメンタリー映画「ミッドウェイ海戦」「真珠湾攻撃」などを撮影した。フォードは、太平洋戦争の転換点となったミッドウェー沖海戦の戦場にも居合わせた。
1973年8月、ジョン・フォードはカリフォルニア州パームデザートで没した。79歳だった。
ジョン・フォードは、アカデミー賞の監督賞を4回受賞していて、これは監督賞の最多記録である。監督賞をとった作品は、つぎの4本。
1936年「男の敵」
1941年「怒りの葡萄」
1942年「わが谷は緑なりき」
1953年「静かなる男」
俳優では、ジョン・ウェインとヘンリー・フォンダをよく起用した監督だった。
黒澤明やゴダールなど、世界中の映画監督に敬愛された「西部劇の神さま」ジョン・フォードの代表作といえば「駅馬車」である。いま観ても、映像のスピード感、テンポのよさ、筋の展開のみごとさなど、やっぱりよくできた娯楽映画だと感心させられる。映画作りのお手本のような映画である。ただし、いささか古い時代の映画なので、ネイティブ・アメリカンを悪役にすえ、白人を正当化して主役におき、話をわかりやすく単純化する時代性が、現代に観るとさすがにつらい。自分はむしろ「わが谷は緑なりき」の温かい、ヒューマニスティックな味わいが好きである。
ジョン・フォードは撮影現場で、シーンを撮影しOKを出した後に、俳優から「納得がいかないからもう一度演技させてくれ」と申し出があったとき、こう答えたそうだ。
「よし、そんなに言うんだったらカメラを回してやろう。しかし、もったいないからフィルムは抜くよ」(村上龍『真昼の映像・真夜中の言葉』講談社)
(2015年2月1日)
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