2014衆院選・参考・ヒトラーの政権掌握 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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今回の衆院選の選挙が歴史的にどういう意味をもつのか、比較する参考として、ヒトラーの政権掌握についてかんたんに振り返りたいと思います。

アドルフ・ヒトラーは、1889年4月20日、オーストリアのドイツ国境に近い町ブラウナウで生まれました。父親は税関吏でした。13歳で父親を、18歳で母親を亡くし孤児となったアドルフは画家を志しましたが美術学校の入学試験に失敗し、20歳のころにはミュンヘンでホームレスとなっていました。
彼が25歳のとき、第一次世界大戦がはじまり、ヒトラーはあらゆる手を尽くして兵役を逃れようとしましたが、結局徴兵され、陸軍の伍長として前線に出ました。化学兵器のガスで目が見えなくなり、彼の入院中にドイツは敗戦を迎えます。

一次大戦戦後、ドイツは天文学的な賠償金を課され、超インフレと貧困に悩まされます。主婦が乳母車いっぱいに札束を積んでミルクを買いに行く不穏な社会情勢のなか、ヒトラーはドイツ労働者党(後のナチス党)に入党し、反乱を起こしたり、逮捕・拘留されたりの紆余曲折をへて、彼が率いるナチス党は成長していきます。ライバル政党の集会は、突撃隊(SA)に襲わせてたたきつぶし「社会がうまくいかないのはすべてユダヤ人のせいだ」と人々に不満のはけ口を与え、民衆の群集心理を操り人気を得ました。
1929年にはじまった世界恐慌の影響で、外資頼みだったドイツ経済は破綻します。銀行がばたばたと倒産し、失業率が40パーセントを超え、失業者は600万人とも700万人とも言われました。そんな不況期の1933年1月、ヒトラーは43歳で首相となります。

ヒトラーは首相になるとすぐ、自分の政府に立法権を含むすべての権利を任せる全権委任法を要求し、議会を解散します。解散直後、国会議事堂が放火されるという謀略事件が起き、これは共産主義者のしわざだと決めつけられ、共産党の公務員や議員が逮捕され、共産党の新聞は発行停止となりました。
選挙の結果、ナチス党は大勝利を収めました。けれど、憲法改正に必要な3分の2の議席にはまだ足りませんでした。そこで、逮捕や逃亡によって欠席した議員も出席したとみなされるという強引な法改正をおこない、ナチス政権は憲法改正の道を開きました。
こうして当時世界一進んだ憲法と言われたヴァイマル憲法は骨抜きとなり、ヒトラーは大統領と首相を兼任し、ついに独裁者となりました。
同時期に「民族と国家防衛のための大統領令」と「ドイツ国民への裏切りと反逆的策動に対する大統領令」の法案が出され、国家体制に反対するものは片っ端から逮捕・拘留されることとなり、市民の言論は封殺されました。

ヒトラーは、軍部の協力をとりつけるため、軍と敵対していた味方の突撃隊をいっせいに処刑し、同時に共産党員も処刑しました。こうして極右と極左を切り捨て、軍部に忠誠を誓わせ、クルップなど大企業から莫大な献金を受けつけ、ユダヤ人からは資産を没収しながら、ヒトラーは道路建設、自動車産業と兵器産業の振興を進め、国民には無料奉仕を強い、その数も就業人口に入れて計算して失業率を改善させ、不足している食糧などの資源を得るために、周辺諸国の侵略へと向かったのでした。

反対勢力の集会への妨害、憲法の骨抜き(無視)、自由な言論を封じる法律の整備、経済指標の数字の操作など、デジャヴュ感のあるポイントだと思います。
麻生太郎副首相など「ヒトラーは歴史上でただひとり、法的な手順を踏んで独裁者になった男だ」と褒めていましたが、じつは謀略と弾圧と詐欺によっていたことは明らかです。
(2014年12月7日)


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