アンドレ・ポール・ギヨーム・ジッドは、1869年、フランスのパリで生まれた。父親は大学の法学教授だった。
内気でからだの弱い少年だったアンドレは、学校ではよく殴られたいじめられっ子だった。10歳のとき父親が没し、11歳で病気のため学校を退学。以後、学校に再入学したり、退学したりした後、大学進学をやめ、作家になる志を立てた。
21歳のとき、初の創作『アンドレ・ワルテルの手記』を匿名で自費出版したが、反響はまったくなかった。
22歳のとき、兵役についたが、肺結核になり、1週間で除隊。
その後、ジッドは地中海を渡った北アフリカのアルジェリアに旅し、そこで娼家に出入りし、男色を味を覚えて帰ってきた。
32歳のとき、アルジェリアの体験をもとにした小説『背徳者』を出版。
以後『狭き門』『オスカー・ワイルド』『田園交響楽』『一粒の麦もし死なずば』『贋金つくり』などを書き、78歳の年にノーベル文学賞を受賞した。
1951年2月、パリで没した。81歳だった。
学生のころから自分はオスカー・ワイルドのファンで、その知り合いだった関係でジッドの作品をすこし読んだ。当時は「アンドレ・ジイド」という表記が多かったと思う。
ジッドはバイセクシュアルで、従姉と結婚したが、その従姉の妻とは性生活をもたず、外に作った不倫相手に子どもを産ませたりしていて、はっきりいってその生活は目茶苦茶である。
ジッドの作品は背徳的・反キリスト教的で、ローマ教皇から禁書とされたけれど、逆に言えば、キリスト教世界がまず前提としてあった上でのキリスト教色が濃い文学で、キリスト教世界にうとかった自分にはあまりピンとこなかった。
一方で自分はワイルドとかデヴィッド・ボウイとかミック・ジャガーとか、バイセクシュアルの人が世に多くいるのを知っていたので、ジッドのカミングアウトにはそれほどショックを受けなかった。けれど、いまはカトリックや時代性についてもすこしはわかるようになり、ジッドのインパクトの大きさがようやく察せられるようになった。
ジッドの純粋小説の観念には、自分はとても感心した。
一方に、サルトルとかドス・パソスとか野間宏など、現実世界のすべてを小説のなかに取り込もうとする全体小説という考えがある。これは大きく大きくという小説の方向性である。
それに対して、ジッドの『贋金つくり』に登場する考えは、現実世界の余分なものはなるたけ排除して、小説に必要な要素だけで小説を組み立てようとする純粋小説の目論見で、小さく小さくという小説の方向性である。ジッドは自分の内向的な資質を芸術に昇華させようとした作家だと思う。
(2014年11月22日)
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