マイケル・ファラデーは、1791年、英国イングランド、ロンドンに近いニューイントン・バッツで生まれた。父親は鍛冶屋で、マイケルは4人きょうだいの3番目の子だった。
父親がからだが弱く、貧しかったため、マイケルは同様、早くから働きに出た。
13歳のとき、近所の文具屋の小僧になったマイケルは、1年勤めた14歳で同じ文具店がやっていた製本所の徒弟になった。そこで7年間の年季奉公をするあいだに、彼はいろいろな本を読み、化学者の講義を聴きに行くなど、化学への関心を深めていった。
21歳で年季が明けたマイケルは、晴れて職人として雇われることになったが、就職先の親方が怒りっぽいのに閉口し、彼はべつの道を模索しだした。そのとき、以前講義を聴いた王立協会のサー・ハンフリー・デビーに、講義を聴いてとった分厚いノートを同封して就職の希望を書いた手紙を出したのが縁で、彼は王立研究所の助手となった。
ファラデーはサー・デビーの助手助手として新発見をつぎつぎと成し遂げた。
32歳のとき、塩素の液化に成功。34歳でベンゼンを発見。40歳のとき、電磁誘導を発見。
そのほか、、ファラデーの電気分解の法則の確立、電気分解の法則の発見、物質が磁場に対して反発する反磁性の発見、電磁場によって光の偏光面が回転するファラデー効果の発見などなど、さまざまな分野で目覚ましい業績をあげた。
41歳のとき、オックスフォード大学の名誉博士号となり、スウェーデン王立科学アカデミーの外国人会員や、フランス科学アカデミー外国人会員にも選ばれたファラデーは、67歳のとき、実験の現場から引退し、王室のはからいで用意されたロンドン郊外にある宮殿で余生を送った後、1867年8月、同宮殿内の自宅で椅子にもたれて没した。75歳だった。
身分差別のはげしい英国らしく、ファラデーは科学者として優秀さを認められても、貴族階級に差別を受け続けた。師匠の妻、デビー夫人はファラデーを同じ食事のテーブルにつかせず、移動する際も彼を馬車の馭者台にすわらせたらしい。
ファラデーが30歳のころから、実験の功績をめぐって彼と師サー・デビーは仲たがいし、以後、師は弟子に嫉妬するようになった。ファラデーが王立協会会員に推薦されると、師匠は猛反対した。しかし、結局ファラデーは協会のフェローに選ばれ、34歳のとき、サー・デビーの後任として英国王立実験所長の職に就いた。サー・デビーはファラデーが38歳のとき、亡くなっている。
自分は高校生のころ、物理学の先生から、ファラデーのことを教わった。コイルのそばで磁石を動かすとそのコイルに電圧が生じるという電磁誘導を発見した人である、と。ファラデーは数学的教養がほとんどなかったが、そのおかげで自由な発想ができ、実験によって新しい科学的偉業をつぎつぎと打ち立てた。ニュートン力学にしばられた数学のできる学者たちは最初彼を笑ったが、すぐに笑えなくなった。ファラデーによって、人類はニュートン力学の外へはじめて一歩を踏みだしたのである、と先生に教わった。
電磁誘導は不思議な現象だった。自分は感心し、岩波文庫のファラー著『ロウソクの科学』を読んだ。ロウソクの芯の先だけが燃えて、なぜ芯が燃え進まないのか、といったところからはじめて、いろいろな実験と考察が積み重ねられていく。終わりのほうに日本製のロウソクが登場して、とても褒めて書いてあった。
ファラデーはナイトの勲章授与の話をことわったそうだ。デヴィッド・ボウイも勲章授与の打診があったが、ことわったらしい。そんな話も思いだされる。
(2014年9月22日)
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