スティーヴン・エドウィン・キングは、1947年、米国メイン州のポートランドで生まれた。スコットランドとアイルランド系で、父親は商船の船乗りだった。スティーヴンには、養子である兄がひとりいた。
スティーヴンが2歳のとき、父親はたばこを買いに行くと出たきりもどらず、行方不明になった。母親に女手ひとつで育てられたスティーヴンは、小さいころから麻疹、咽頭炎、扁桃腺炎などにかかり、家のベッドで寝ていることの多い少年時代を送った。
11歳のときに母親からブレゼントされたタイプライターで文章を打ってはSF雑誌に投稿をはじめ、高校時代には、観てきた映画を小説化して小冊子にし、輪転機で刷り、学校で同級生たちに売った。メイン大学を卒業後、教師の職を求めたが、得られず、クリーニング屋で働いた。働きながら、男性雑誌にホラーやSFや犯罪小説の投稿を続け、その原稿料と給料とで、学生結婚した妻タビサ・スプルース(タビー)と2人の子どもを養った。
24歳のとき、ようやく高校の英語教師の職を得たが、学校の雑務に追われて忙しく、給料は安く、時間がなくなった。作家としても鳴かず飛ばず。借家住まいからトレーラーハウスに移り、妻のタビーはダンキン・ドーナッツ店でアルバイトをする苦しい生活が続いたが、それでも彼の小説執筆を、タビーは無駄呼ばわりせず、執筆を励ましつづけた。
26歳のとき、トレーラーハウスの洗濯室で書いたモダンホラー小説『キャリー』を出版社に送ると、これが出版され、ベストセラーとなった。この作品のペーパーバック版の権利は6万ドルで売れ、そのうち半分の3万ドルがキングに入ってきた。その額は、彼の高校教師の年棒の4年ぶんに相当した。同作品は映画化もされてヒット。晴れてベストセラー作家となった彼は『シャイニング』を書き上げ、その後『ザ・スタンド』『デッド・ゾーン』『スタンド・バイ・ミー』『グリーンマイル』『アトランティスのこころ』『ドリームキャッチャー』などを発表。飛ぶように売れる本が求められるショッピングモール街の書店に欠かせないベストセラー作家となった。40歳のころには薬物依存症になり、52歳のころには散歩中にクルマにはねられ重傷を負ったが、いずれの深刻な危機も克服し執筆活動を続けている。
スティーヴン・キングこそ現代屈指の巨匠で、彼の『グリーン・マイル』は、拙著『名作英語の名文句2』でもとり上げた。
冒頭から読者をはらはらさせながらその興味を吊り上げて引っ張っていくサスペンスの力と、読者の予想をいい意味で裏切る豊かなストーリー展開、そして、作品全体の底に人間性や人間存在に迫る問題意識が横たわっている、その重さがいいのだと思う。
キングは作品のアイディアを得るうまい方法などないとして、こう述べている。
「...good story ideas seem to come quite literally from nowhere, sailing at you right out of the empty sky: two previously unrelated ideas come together and make something new under the sun. Your job isn't to find those ideas but recognize them when they show up. (よいストーリーのアイディアは文字通りどこにもない場所からやってくる。何もない空からあなたを目指してやってくる。2つのもともと関係のないアイディアがいっしょになり、太陽の下でべつの何か新しいものになったりもする。なすべきは、そうしたアイディアを見つけることでなく、それが姿を現したら気づくことである)」(Stephen King, On Writing, Pocket Books)
学生結婚して、社会人生活の後にベストセラー作家になったのは、五木寛之、村上春樹と共通する。ベストセラー作家になりたかったら、学生結婚して社会人になれ、である。
キングは、以前もいまも、ずっと、作品が仕上がると、真っ先にタビーに読んでもらい、批評をこうそうだ。本人の献身もさることながら、そばで信じている人の力が彼を成功させた、そんな気がする。
(2014年9月21日)
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