オーティス・レイ・レディング・ジュニアは、1941年、米国ジョージア州のドーソンで生まれた。父親は小作人や説教師をしていたゴスペル歌手で、母親は家政婦だった。
小さいころから教会の聖歌隊で歌い、そこでピアノやギターを覚えたオーティスは、10歳のころからドラムと歌のレッスンを受けだし、ラジオ聴くでゴスペルを歌うアルバイトをした。週に一度歌いにいき、6ドルをもらったという。
15歳のとき、父親が結核で働けなくなったため、オーティスは学校をやめて、坑夫をしたり、ガソリンスタンドで働いたり、助っ人ミュージシャンをしたりして働きだした。
リトル・リチャードのロックンロールに衝撃を受けて音楽を志したというオーティス・レディングは、十代半ばに扁桃腺切除の手術を受け、歌う自信を失いかけたが、父親に励まされ、歌手を続けた。
17歳のとき、ディスクジョッキーが開いた十代向けの音楽コンテストに出て15週連続で勝ち抜いて賞金を得、それをきっかけにプロバンドのボーカリストとして歌いだした。
21歳のとき、ソロシンガーとしてデビュー。リズム・アンド・ブルースの「リスペクト(Respect)」「アイヴ・ビーン・ラビング・ユー(I've Been Loving You)」などのヒットにより、24歳のころには大成功をおさめ、ジョージア州に大きな牧場をもつまでになった。
ローリング・ストーンズの「サティスファクション(Satisfaction)」をカバーしてヒットさせ、白人ロック・ミュージシャンの音楽フェスティバルに出演して喝采を浴びるなど、活躍の場を広げていったが、1967年12月、移動のため、バンドメンバーといっしょに乗ったプロペラ機が湖に墜落し、事故死した。26歳だった。
事故の3日前に録音された名曲「ドック・オブ・ベイ(Dock of the Bay)」は、彼の死後に発売され、ビルボードチャートで第1位となり、6週連続でトップを走りつづけた。矢沢永吉の楽曲「チャイナタウン」の歌詞にもこの曲名がでてくる。
昔、自分はニューヨークのカラオケバーで歌ったことがあって、あちらでは、曲をリクエストしておいて自分の番がくると、ステージに上がり、マイクをもって歌う。すると店内大合唱のなか、女の子がステージに上がってきて肩を組んでいっしょに歌い、キスしてくれたりする天国みたいなところだったけれど、その晩は「ドック・オブ・ベイ」をリクエストした客がいて、みんなで大合唱した。客はほとんどが白人で、自分も見知らぬ客と肩を組んで歌いながら、オーティス・レディングの歌は広く人気があるのだなあ、とあらためて感心した。
レディングの「サティスファクション」は、ストーンズのメンバーも名唱だと絶賛しているらしいけれど、自分としてはファンキーなレディング版より、ストーンズの原曲の「満足できないんだよう」というけだるい感じのほうが好きである。
レディングの楽曲では自分は「ズィーズ・アームズ・オブ・マイン(These Arms of Mine)」みたいな切々と歌うラブソングが好きだ。でも彼の真骨頂はやはり「トライ・ア・リトル・テンダネス(Try a Little Tenderness)」のように、どんどんアップテンポにのってきて「ガッツ、ガッツ、ガツガツ……」とファンキーに盛り上がっていく歌唱にあるのだろう。RCサクセションの忌野清志郎のボーカルは、レディングに圧倒的に影響を受けていると思う。清志郎の名曲「スローバラード」はレディングに捧げられた曲だと自分はひそかに信じている。
(2014年9月9日)
●おすすめの電子書籍!
『ツイン・オークス・コミュニティー建設記』(キャスリーン・キンケイド著、金原義明訳)
米国ヴァージニア州にあるコミュニティー「ツイン・オークス」の創成期を、創立者自身が語る苦闘と希望のドキュメント。彼女のたくましい生きざまが伝わってくる好著。原題は『ウォールデン2の実験』。B・F・スキナーの小説『ウォールデン2』に刺激を受けた著者は、仲間を集め、小説中のコミュニティーを現実に作って見せたのである。
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com
