1951年のこの日、米国のサンフランシスコで講和会議が開かれ、サンフランシスコ平和条約が結ばれた。日本の全権代表は、吉田茂首相だった。
これは、日本・対・世界48カ国の講和条約で、これによって第二次世界大戦は正式に終了し、この条約が効力をもちだす、翌1952年の4月28日から、日本は連合軍の占領下から解放され、独立国として認められるようになった。
戦争は、敵国に対する宣戦布告ではじまり、降伏条件の受諾で休戦し、講和条約(平和条約)の締結で戦争状態の終了となるわけだけれど、9月8日はその正式な終戦の日なわけである。
でも、この48カ国というのがポイントというかネックで、それ以外の国とは、まだ戦争が終わっていなかったことになる。
サンフランシスコ講和会議は、現地・米国の主導でおこなわれたこともあって、出席していたソビエト連邦、ポーランド、チェコスロバキアなどは、条件が気に入らないとして、条約には調印しなかった。
日本とロシア(旧ソ連)は、いまだに講和(平和)条約を結んでいないので、戦争状態は続いているとみることもできる。ただ休戦中なだけである。
インドやインド、ビルマ、ユーゴスラビアは会議への参加を拒否し、とうぜん調印もしていない。
また、中国は当時、内戦中で、中華民国側と中華人民共和国側と、どちらを中国の代表とするか意見が分かれ、結局、講和会議に招かれすらしなかった。
また、朝鮮半島は朝鮮戦争のまっただなかで、講和どころではなかったが、韓国は講和会議に出席を望んでいた。しかし、戦争に先立ち、日本が韓国を強引に併合していた経緯があるので、日本と韓国との戦争自体が存在しなかったという論理をふりかざされ、参加できなかった。これもひどいと思う。
第二次大戦で、日本によってもっとも大きな被害を受けた中国と朝鮮半島が参加していないという異常な会議で、いったいそんな講和に意味があるのか、という疑問もあるわけだが、とにかく48カ国との講和によって、日本は戦後へ一歩進むことができた。
日本は、その後、48カ国以外の国と講和条約を一つひとつ結んでいくことになる。
サンフランシスコ平和条約では、おまかな領土の取り決めがあるばかりで、賠償については、それぞれ個別にやってくれということになっていた。
この点については、被害が甚大だった東南アジアの諸国からはそうとうな反発があったらしいが、米国主導により押し切られ、講和条約は結ばれた。
賠償問題や、領土問題など、大急ぎで講和を結んだつけはいまだに尾を引いていて、なかなか解決しないけれど、でも、やっぱり、とりあえず結んでおいて、戦争状態をとにかく終わらせておいてよかったとは思う。
無闇矢鱈にぺこぺこしろというのではないけれど、冷静、公正に、思いやりと寛大さをもって接してくれた講和のときの諸外国の態度を、日本はよく考えるべきだと思う。
その後、日本人は、札束に頭を下げ、貧しい人をさげすむようになった。日本は金持ちになって、人間性というものに対して不遜になったのではないか。
(2014年9月8日)
●おすすめの電子書籍!
『こちらごみ収集現場 いちころにころ?』(落合三郎述、金原義明記)
ドキュメント。ごみの現場に、ヤクザが、刑事が、死体が? ごみ収拾現場の最前線で働く男たちの壮絶おもしろ実話。「いちころにころ」の真実とは?
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com
