6月24日・エルテール・デュポンの気づき | papirow(ぱぴろう)のブログ

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6月24日は、米国のデュポン財閥の礎を築いたエルテール・デュポンの誕生日である。かつて自分は、デュポンはライターのメーカーだとばかり思っていた。大学で管理会計学の講座をとったら、デュポン社の管理会計システムの話がでてきて、それで大砲や火薬を作る兵器メーカーだとはじめて知った。砲弾を作っているのなら、ライターなどお手のものにちがいない。

エルテール・イレネー・デュポンは、1771年、フランスのパリで生まれた。彼が生まれる前年には、ルイ16世とマリー・アントワネットの婚姻があった。
エルテールの父親は印刷業を営む政商で、エルテールが13歳のときに、ルイ16世から証書など公文書の特許を受け、貴族に列せられた。
エルテールは王立のカレッジに学んだが、いずれの学科にも興味がわかなかった。ただ、唯一、爆発物については強く関心を覚えた。エルテールは父親のつてで、火薬の研究を扱っている政府機関の化学研究所で、質量保存の法則を発見した天才科学者アントワーヌ・ラヴォアジエの生徒おなり、火薬作りに欠かせない化学知識を学んだ。
エルテールが18歳のとき、バスティーユ監獄が襲撃され、フランス革命がはじまった。
22歳のとき、ルイ16世、マリー・アントワネットが処刑され、23歳になる年には、恩師ラヴォアジエが処刑され、エルテールの父親も逮捕された。父親はかろうじて処刑をまぬがれたが、デュポン家は混乱のフランスから逃げだすことに決めた。
エルテールが28歳のとき、一家は大西洋を渡る船に乗った。そうして1800年1月1日に、米国東海岸のロードアイランド州に到着した。
デュポン家は、ニュージャージー州に居を構え、すぐにニューヨークに事務所を開いて、どんな商売をはじめるか検討しだした。
エルテールは当初、火薬を商売にしようなどと考えてはいなかったという。
あるとき、エルテールは、米陸軍の軍人といっしょに猟銃をもって山へ狩りに出かけた。その軍人は、たまたま軍の弾薬供給に以前関わっていた人物だったのだけれど、ハンティングをしていて、エルテールが鳥に狙いをつけて引き金を引くと、不発だった。
「米国製の火薬は、質が悪いようだね」
エルテールは、米国製の火薬製造技術が未熟なのを知ると、師ラヴォアジエに教わった技術や知識を思いだした。火薬製造の計画を話すと、父親は大賛成した。
デュポン家は資本を集中投下し、工場を建設した。そしてエルテールが32歳のとき、最初の火薬製品ができあがった。
品質管理と安全対策に力を入れた結果、デュポン社の高品質の黒色火薬は米国政府の信頼を得て、政府御用達の兵器メーカーとなり、デュホン社は発展していった。
エルテール・イレネー・デュポンは、1834年10月、デラウェア州のエリュセリアンミルズで没した。63歳だった。死因は、コレラか心臓発作の可能性が指摘されている。

その後、デュポンは南北戦争、第一次、第二次世界大戦と、戦時に発展し、21世紀の現代でも、エルテールの子孫たちは繁栄していて、デュポン財閥は、メロン財閥、ロックフェラー財閥と並ぶ米国の三大財閥とされている。

エルテール・デュポンは、俗な言い方をすれば、あぶない時代に、あぶない国から逃げてきて、あぶない商売をはじめて大儲けした人、ということになる。
ハンティングのエピソードは、なかなか象徴的な話だと思う。お金になればなんでもいいというのは、大成しないのであって、やはりなにごとかで大成する人には、自分のなかにある可能性に気づく「気づきの瞬間」がくるのだと思う。
(2014年6月24日)


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