4月10日は、新聞王、ピュリツァーが生まれた日(1847年)だが、映画評論家、淀川長治の誕生日でもある。
自分は物心ついたころから映画好きで、テレビの映画番組はなるべく見るように心がけていた。淀川長治さんは、テレビ映画番組の草分けである「日曜洋画劇場」の名物解説者で、自分にとっては竹馬の友であり、人生の教師だった。映画の見方、人生の見方、人間の見方など、彼に教わった貴重な知恵は数えきれない。
淀川長治さんは、1909年、兵庫県の神戸で生まれた。芸者置屋の跡取り息子だった。6人きょうだいで、姉が二人、弟が三人いた。
親が映画館の株主で、よく映画を見る家庭だった。長治さんも子どものときから、映画大好き少年だった。淀川さんがテレビでこう言っていたのを聞いたことがある。
「家族そろって映画好きで、よく映画を見に行っていたんですね。まあ、なんていやらしい家族なんでしょうねえ」
彼は東京の大学に入り、美学を専攻したが、中退。18歳で雑誌「映画世界」の編集部に勤めだした。
24歳のとき、UA(ユナイテッド・アーティスツ)の大阪支社に入社。洋画の宣伝を担当し、26歳のときには、来日した喜劇王チャールズ・チャップリンと対談した。
いくつかの映画会社宣伝部や、映画雑誌の編集をへて、57歳のとき、テレビの映画番組「土曜洋画劇場」の解説者となり、同番組は「日曜洋画劇場」となった。淀川さんは32年間、この番組の解説を務めた。1998年11月、同番組の最後の収録の翌日、腹部大動脈瘤破裂ならびに心不全により没した。89歳だった。
これはけっこう有名な話だけれど、ほかのテレビ映画番組は、たいてい「○○曜ロードショー」などと銘打ってあって、西洋の映画も邦画も放送できるようにしてある。ところが、淀川さんの「日曜洋画劇場」は「洋画」と題してあるから、日本映画を放映するわけにはいかない。これは、淀川さんのポリシーでもあったのだろうが、それでも「日曜洋画」は「特別企画」とことわって、2回だけ邦画を放送したことがあったらしい。その2本は、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」と、黒澤明監督の「夢」だった。
自分は両作とも封切り時に映画館で観たし、テレビでも観た。自分は両監督、両作品ともに大好きだけれど、世界の巨匠として名を響かせた黒澤明と、黒澤作品のヒューマニズムに反発し、あえて前衛的な作品を作りつづけた大島渚監督の対照を考えるとき、淀川さんが双方ともに応援しているようでうれしい。
自分は淀川さんにはいろいろなことを教わったけれど、彼が日本国民にいちばんよく訴えつづけたのは「とにかくほめなさい」ということだと思う。ほめるといっても、ウソをついてはいけないので、まず、いいところを見つけなくてはいけない。人の足を引っ張りたがる者の多い日本人のなか、淀川さんは、人の美点を見つける天才だったと思う。
これはどこかで聞いたうろ覚えの話だけれど、淀川さんのストレス解消法は、夜なか、素っ裸になって、庭をとびまわることだったそうだ。それを聞いて自分は、ああ、なるほどと、淀川さんのあの徹底的に前向きな明朗さが、すこし納得できたのだった。
(2014年4月10日)
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