12月28日・石原裕次郎、若さの輝き | papirow(ぱぴろう)のブログ

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12月28日は、ふつうの年の官公庁御用納めの日で、「コンピュータの父」フォン・ノイマンが生まれた日(1903年)だが、戦後最大の映画スター、石原裕次郎の誕生日でもある。
自分が石原裕次郎をはじめて見たのは、テレビ番組「太陽にほえろ!」の警察の課長役でだった。「マカロニ刑事」の萩原健一が好きで見ていた自分は、母親が「裕次郎、裕次郎」とさわぐ気持ちが、子どもごころに、ピンとこなかった。

石原裕次郎は、1934年、兵庫の神戸で生まれた。父親は学歴のないところから汽船会社の重役にまでなったたたき上げで、父親の転勤にともなって、裕次郎は北海道の小樽、神奈川の逗子と転々としながら育った。裕次郎は、作家・政治家になった二つちがいの兄、石原慎太郎と2人兄弟である。
子どものころからスポーツ万能だった裕次郎は、少年時代から水泳、スキー、、バスケットボール、ヨットに熱中し、女と酒と遊びにふける放蕩息子となった。
高校生だった16歳のとき、父親が没した。父親が亡くなっても、裕次郎の放蕩はやまず、母親のハンコと預金通帳を持ちだして遊びにつかったという。
「たまに家に帰ってくる弟(裕次郎)を母がなじると、弟は、それなら親父が残したものをきちんと三等分にして自分に渡してくれ、自分は自分で納得いくように使うからなどともいい出した。
 弟の使い道など知れているから、それがなくなった時にどうするつもりだといえば、それはその時のこと、俺は俺の好きなように生きるから死んだ親父のつてで船員にでもなるという始末だった。(中略)結局、母も私もはらはらしながらいつも弟のいいなりに引き摺られていった。」(石原慎太郎『弟』幻冬社文庫)
裕次郎はその後、慶応大学に進学した。学生時代に映画会社の俳優オーディションを受けたが、片っ端から不合格だった。
裕次郎が21歳のとき、兄の慎太郎が『太陽の季節』で芥川賞を史上最年少で受賞。兄は一躍人気作家となり、その作品が映画化されるにあたり、兄のごり押しによって、裕次郎はわき役として映画初出演した。そして、つぎの慎太郎・原作の映画『狂った果実』でも兄の押し売りによって、裕次郎は主役を演じた。そして、一気にスターダムにのしあがった。「足の長い俳優」石原裕次郎は日本中に「太陽族」ブームを巻き起こし、圧倒的な人気を誇る日本最大のスターになった。
石原裕次郎は、みずからプロダクションを興し、俳優を育て、映画やテレビ番組制作に乗りだすとともに、歌手としても活躍した。そして1987年7月、肝細胞癌のため、東京の病院で没した。52歳だった。

映画『狂った果実』は、トリュフォーやゴダールら、フランス・ヌーヴェルバーグの監督たちが「聖書」としてあがめた傑作だけれど、自分もあの映画の鮮烈な印象には打ちのめされた。感性のきらめく斬新なフィルム編集がすごいと思ったが、出演者では、岡田眞澄と石原裕次郎の存在感が圧倒的だった。
無邪気な笑顔、予測不能な行動の奔放さ。若いころの石原裕次郎のきらきらした魅力は、ちょっとほかでは見られない種類のものだ。母親が兄・慎太郎に対し、弟・裕次郎についてこう評したのもうなずける。
「お前はいつもきちんとしていて男前だったけど、あの子はお前に比べれば不細工な顔をしていたわよね。でも子供の頃から目が、目だけはいつもきらきらと綺麗な子だなあと思っていたのよ」(同前)

自分は中学のころから作家・石原慎太郎の愛読者で(政治家としては応援していない)、石原裕次郎の甥にあたる石原伸晃氏と名刺交換したことがある。石原一族のこの三代にわたる出世物語をながめると、感慨深いものがある。そして、石原裕次郎や村上春樹といったスーパースターを思うとき、彼らに子どもがいないことの意味について、つい考えてしまう。
(2013年12月28日)




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