12月27日・「宇宙観の転換点」ヨハネス・ケプラー | papirow(ぱぴろう)のブログ

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12月27日は、大女優、マレーネ・ディートリッヒが生まれた日(1901年)だが、天文学者、ヨハネス・ケプラーの誕生日でもある。
自分は、ケプラーについては高校生のときに物理学の教師からよく話を聞いていた。ティコ・ブラーエが十年以上にわたって続けたの天文観測の記録を分析し、そこから惑星の法則を導きだした人物である。まだ天文学と占星術がいっしょだった時代、望遠鏡がなく、観測を肉眼でおこなっていた時代の話である。

ヨハネス・ケプラーは、1571年、ドイツのヴァイル・デア・シュタットで生まれた。ヨハネスは4人きょうだいの1人で、彼が生まれたとき、祖父は市長だった。ヨハネスの父親は、傭兵をしていて、ヨハネスが5歳のとき、家族を捨てて出ていった。母親は人を癒すヒーラーで、ヒーリングに植物を用い、魔法を試みたという。
神学校を出たヨハネスは、大学で数学を学び、23歳のころから、グラーツの学校で数学と天文学を教える学校教師になった。しかし、27歳の年に、プロテスタントの牧師と教師に対し、グラーツの町からの退去命令が出され、ケプラーは失業した。
翌年の28歳の年に、ケプラーはプラハに招かれ、宮廷付きの天文学者だったティコ・ブラーエの助手(または同僚)として働きだした。
ブラーエは、抜群の視力の持ち主で、望遠鏡を使わない観測者としては世界最高の精度を誇っていた。彼は恒星や惑星のほか、超新星や彗星などの追跡観測もおこなった。
ケプラーが29歳のとき、ブラーエが没すると、ケプラーはその後の職務を継いだ。ケプラーの目はそんなによくなかったのかもしれないが、彼はブラーエの残した膨大な観測データを分析し、そこからケプラーの法則と呼ばれる、つぎの三つの法則を導きだした。
「第1法則」惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く。
「第2法則」惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、一定である。
「第3法則」惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する。
ケプラーは、晩年は、魔女裁判にかけられた母親の弁護に奔走し、なんとか母親を助けた後、1630年11月、レーゲンスブルクで没した。58歳だった。

人類の世界観、宇宙観は、ケプラー以前と、彼以後とで大きく変わる。
すなわち、ケプラーはまず、惑星が楕円軌道を描いてまわっていることを発見し、これが、すでにコペルニクスが遺言していた地動説を、より堅固なものとした。ケプラーの法則はまた、ニュートンの万有引力の発見へとつながっていく。ケプラーの法則からすると、こういうことになる。
「惑星は、距離の二乗に反比例する力によって、太陽に引っぱられている」
この「太陽と惑星のあいだに、ひっぱる力が存在する」ということに、ケプラーはすでに気づいていたと言われる。

ティコ・ブラーエとケプラー。この二人が宇宙の構造をがらりと変える一石を、人類の歴史の池に投げこんだのである。その波紋により、彼ら以前の人類は、たちまち「古い人種」となった。
考えてみれば、自分などがそうだと信じこんでいる現代の世界観なども、もうすこしたつと、がらりと変わってしまうのかもしれない。すると、未来の人類から見れば、自分など、まだ魔女裁判をやっていた人々といっしょにひとくくりにされ、無知蒙昧な時代の、生まれ落ちてわけもわからず右往左往して死んでいったに人種として分類されるだろう。
(2013年12月27日)



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