12月25日・「ミスター・クリスマス」植木等 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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12月25日は、クリスマス。この日は、リンゴを落ちるのを見て万有引力を発見したアイザック・ニュートンが生まれた日(1642年。ユリウス暦による)だが、コメディアンの植木等の誕生日でもある。
自分がもの心ついたころ、植木等はすでに大スターだった。圧倒的な存在感の人だった。「わかっちゃいるけど、やめられない」のフレーズで有名な植木の「スーダラ節」は、自分のカラオケの十八番であり、自分の人生のテーマソングである。

植木等は、1926年、愛知県の名古屋で生まれた。父親は、真宗の僧侶だった。
等が3歳のころ、父親の転勤(寺の住職として赴任)のため、三重県の伊勢へ一家は引っ越した。
植木等は、13歳のころ、坊主の修行をするために東京へでた。そうして大学の学生だった20歳のころ、レコード会社の新人歌手オーディションに合格。ラジオ番組で歌うようになり、このころからギターを練習し、ジャズにのめりこみはじめた。
24歳のころからジャズバンドで演奏しだし、30歳のとき、ハナ肇、谷啓らのバンド「クレージーキャッツ」に参加。ジャズ演奏をするバンドでありながら、お笑いコントもするという不思議な集団の中心的存在として活躍した。
テレビの番組「シャボン玉ホリデー」で披露した、
「お呼びでない? こりゃまた失礼いたしました」
のギャグは大流行し一世を風靡した。
植木は36歳の年に、映画「ニッポン無責任時代」に主演。映画は大ヒットし、以後「無責任男」シリーズの映画に出演し、ソロ歌手として「スーダラ節」「ハイそれまでヨ」などお笑いソングを歌い、大ヒットさせた。
2007年3月、呼吸不全により、東京の入院先で没した。80歳だった。

植木等というと、彼の父親の話を思いだす。ずっと以前、テレビのトーク番組に出演した植木が冗談めかして、こんな逸話を語っていた。寺の住職だった彼の父親は、子どもだった等の前で、お寺のご本尊の仏像をものさしでペンペンとたたき言ったそうだ。
「これは木を彫ったのに金箔を塗っただけのものだ。べつにありがたくもなんともない……檀家の者には言うなよ」
父親はまた、徴兵を受けた檀家の若者が出征前のあいさつに来ると、
「戦闘になったら、隠れていて弾をよけ、終わったのを見計らって、戦っていたような顔をしてでていけ。生きて帰ってこいよ」
と送りだした。それで特高警察に引っ張られて、坊主が説教された、という話である。

その父親に、植木等が「今度歌うことになった新曲」と「スーダラ節」を、恐る恐る紹介すると、父親は「親鸞上人の教えの通りの歌だ」と激賞したという。

植木等は「洒落ていること」を大切にした人だったと思う。
中身は、負けん気の強い努力家だった逸話も聞くが、それを表に見せない。ダンディズムの持ち主だったと思う。「一所懸命やっています」ということを全面に表すことを要求される昨今では、流行らないかもしれないが、素敵な、粋なスタイルだった。
まさに「クリスマス生まれ」にふさわしい、世に光をもたらす人物だったと思う。
(2013年12月25日)


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