12月18日は、ザ・ローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズが生まれた日(1943年)だが、画家、パウル・クレーの誕生日でもある。
自分がパウル・クレーを知ったのは数年前のことで、そのころ日本では女性層を中心にクレーの人気はすでに高く、自分はかなり遅れていた。最初に見たのは、鉛筆の線で落書きのように描いた天使のデッサンで、女性月刊誌に似合う画家だと思った。
エルンスト・パウル・クレーは、1879年、スイス、ベルン近郊のミュンヘンブーフゼーで生まれた。父親はドイツ人の音楽教師、母親はスイス人だった。エルンストは2人きょうだいで、上に姉がひとりいた。
両親に禁じらた、絵を描く小説ことと、小説を書くことだけが楽しみだったというエルンスト少年は、ポルノチックな絵を描き、異性に強い興味を示すませた男の子だった。
さまざまな女性と関係をもち、放蕩していた20歳のとき、クレーはドイツのミュンヘンの美術学校に入学。しかし、学校のアカデミックな教育がいやで、翌年には退学し、故郷ベルンへ帰り、絵画とバイオリン演奏に打ち込んだ。
26歳で3歳年上のピアノ教師と結婚し、ドイツのミュンヘンに住んだ。生活は伴侶の収入に頼り、クレーは主夫業のかたわら絵を描きつづけたが、作品はなかなか売れなかった。
32歳のころ、カンディンスキーら、前衛芸術家たちと知り合い、また、ピカソやマティスに影響を受け、このころ抽象画に目覚めた。
38歳のころから絵が売れはじめ、41歳のころには、前衛芸術家として認められるようになり、ドイツ、ヴァイマールの美術学校、バウハウスで美術のマイスターとなって学生を教えた。その後、べつの美術学校へ移ったが、ナチスが政権をとると、職場から追いだされ、クレーはスイスへ亡命した。
気管支炎、慢性肺炎に苦しみながら、作品を作りつづけたクレーは、第二次世界大戦がはじまっていた1940年6月に、スイスのムラルトで没した。60歳だった。
クレーの絵は当時の共産主義、ファシズムが台頭していた時代背景もあって、頽廃的だとか、左翼的だとか批判され、なかなか認められなかった。ドイツではクレーの絵は、退廃芸術とされ没収され、亡命先のスイスでも左翼的だとして、クレーはスイス生まれにもかかわらず、生涯スイスの市民権をとることができなかった。
クレーの絵は、五線紙に船が音符がわりに並んでいたり、矢印や数字が描き込まれていたり、不思議な図形で構成されていたり、謎めいていて、見ていると、つい考えさせられてしまうものが多い。頽廃的とか左翼的とかとは思わないけれど、不可解ではあって、ナチスやスイス当局が嫌ったのもわからないでもない。
おそらく、現代日本の女性雑誌がクレーの天使の鉛筆デッサンを掲載する感覚で、ただ、「おもしろいなあ」と楽しめれば、それでいいのだろうけれど。
クレーが描いた天使の鉛筆画の線の伸び具合を見ると、自分などは、
「やっぱりうまいなあ」
と感心してしまう。やわらかい感じの、しかしためらいのない、まさに天使のように大胆な線。ジャン・コクトーなどもそうだけれど、すべてを線のなかに封じ込めた、堂々たる線だと思う。凡手だとあそこまで線が伸びない。ああいう線が引けるようになりたい。
(2013年12月18日)
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