北欧でノーベル賞の授賞式がおこなわれる12月10日は「日本のマラルメ」伊藤静雄の誕生日である(1906年)。
どうして伊藤静雄を「日本のマラルメ」と呼んだかというと、マラルメも伊藤静雄も、学校の教師をやりながら詩を書いていた詩人だからで、その作風が似ているとかそういう意味ではない。
伊藤静雄は、長崎生まれの詩人で、京大をでた後、ずっと大阪の中学校や高校で教師をしていた人だ。たしか、父親がかなりの借金を残して亡くなっていて、それを返済するために堅い職業についたらしい。
戦前、戦中を通じて、若者にとても人気があった人で、少年時代の三島由紀夫も、はるばる大阪まで伊藤静雄に会いにいったことがあったらしい。まだ三島由紀夫になる前の平岡少年は、あこがれの詩人に会って、なにか通じるものがあると勝手に感じたか、たいそう喜んだらしいが、伊藤静雄のほうは、
「俗物だ」
と、会った感想を書き残しているとどこかで読んだ。なんとなくわかるような気がする。三島由紀夫は恐るべき才能の持ち主でストイックな文学者だったが、同時に、幼いころからの文学ミーハーの一面もあったからだ。
伊藤静雄はロマン派とされる。29歳の年に詩集『わがひとに与ふる哀歌』を発表して、詩聖・萩原朔太郎に激賞された。
34歳の年に詩集『夏花』を発表。この詩集も当時の青年に衝撃を与えたようだ。
時代が時代である。この『夏花』がでたのは1940年で、日中戦争はもうはじまっていて、日米開戦を翌年末にひかえるという、もう世相は真っ暗、戦争まっしぐらという時期である。
赤紙がきて、徴兵された青年たちが、背負った荷物のなかに伊藤静雄の詩集を忍ばせて出征していったという話もうなずけるものがある。
『夏花』中の有名な詩に「水中花」がある。その一節はこんな感じだ。
今歳水無月のなどかくは美しき。
軒端を見れば息吹のごとく
萌えいでにける釣しのぶ。
忍ぶべき昔はなくて
何をか吾の嘆きてあらむ。
(中略)
堪へがたければわれ空に投げうつ水中花。
金魚の影もそこに閃きつ。
すべてのものは吾にむかひて
死ねといふ、
わが水無月のなどかくはうつくしき。
伊藤静雄は1953年に肺結核で没している。本人はいたって地味な、堅気の人生を送った人だが、その詩には危険な爆薬が詰まっている、そんな感じがする詩人である。
(2013年12月10日)
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