12月4日は、かのナポレオンが宗教裁判を廃止した日(1808年)だという。かの悪名高き、魔女だと非難された者は水になかに投げこまれ、浮き上がってきたら軽いから魔女だとして火あぶりにされ、浮いてこなかったら魔女でなかったとされる、というような目茶苦茶な審判も、これを契機になくなったのだろうからよかったけれど、この日はオーストリアの詩人リルケの誕生日でもある(1875年)。
ライナー・マリア・リルケは、たしか哲学者のウィトゲンシュタインが芸術家にと私財を投げ出した、芸術家助成金のようなものをもらっていたはずである(ウィトゲンシュタインの父親はオーストリアの鉄鋼王で、彼は大財閥の子息として莫大な財産を相続したので)。
ただし二人は面識はなかったようだけれど。
自分はリルケはほとんど読んでいない。ただ、ずっと昔、若い時分に、教科書にリルケ(だったと思うけれど)の詩が載っているのを読んで、とても感心した記憶がある。
その詩によって、自分は、詩について目を開かされた気がした。それは、だいたい以下のような内容の詩だった。
向こうに森があって、手前に草原がある田園風景のなか、いくらかの馬たちが草を食べている。そのうちの一頭がふと後ろをふり向いて、あるものを見た。それは、それより何千年も前に、彼と同じ種族の一頭が、たった一度だけ見たものだった。
内容としてはそれだけの、短い詩だった。これを読んで、この詩の独特の味わいに、自分は打たれた。これが「詩」というものだ、と自分は思った。
説明するのも無粋だけれど、あえて説明すると、自分が考えたのは、こういうことである。
詩のなかの馬は、何を見たのかはわからない。わからないから、読んだ人は、「いったいなにを見たのだろう」と知りたく思う。しかし、詩は、それを追わない。「詩」はそうやって、読んだ人の心をほろりと動かしたまま、放りだしてしまう。ほろりとさせた時点で「詩」の目的は達せられている。それが「詩」というものだ、と、自分はそう考えた。
自分は「詩情(ポエジー)」というものが、すこしわかった気がした。
もちろん「詩情」には、いろいろなものがあるし、同じリルケ作の詩にしても、詩によって、それぞれ、ねらっている人の心の場所が異なっているので、もちろんすべてがこの調子というわけではないにせよ。
ただ、そういう経験があるので、自分はリルケにとても感謝している。
(2013年12月4日)
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