11月10日は、コピーライターの糸井重里が生まれた日(1948年)だが、宗教改革を起こしたマルティン・ルターの誕生日でもある。
自分は小中学校の授業でルターのことを教わり、子ども心に「それはそうだろうなぁ」と思った。中世のヨーロッパでは、カトリック教会が、信者の罪を軽減する贖宥状(しょくゆうじょう)を売って、お金をかき集めていた。そのおふだを買えば、それまでの罪が軽減される、というのだが、そりゃ、無茶だろう、と。でも、誰もそれを公には言えなかった。それを言ったのがルターである。
マルティン・ルターは、1483年、現在のドイツのアイスレーベンで生まれた。
マルティンは19歳のとき、エルフルト大学に入った。彼は法律を学んだが、現実生活が不安定なものに思われ、しだいに神学と哲学にひかれていった。
1505年の夏、当時21歳のルターが大学へもどろうとしていると、その途中、彼のすぐそばに、雷が落ちた。恐怖に襲われ、彼は叫んだ。
「お助けください、聖アンナ。わたしは修道士になります」
聖アンナとは、聖母マリアの母親である。これがルターの回心で、以後、彼は修道士になり、カトリックの修行を積み、29歳のころには大学の神学部教授になった。
しかし、ルターの悩みは深かった。教会の教えにのっとって神を愛すると言いながら、その実、わが身の平安と幸福ばかりを望んでいる自分の二面性に苦しんだ。そんな折も折、ドイツの大司教が、贖宥状を大々的に販売しはじめた。
「それはちがうだろう」
とルターは思った。そして彼は考えぬいた末、神による罪の許しや救い(福音)は、カトリック教会の言うように、きびしい戒律による生活を送ったり、善行を積んだり、ましてや贖宥状を買ったりして得られるものではなく、心から神を信仰し、ひたすらイエス・キリストに自身をゆだねることで、無条件に与えられるものだ、という結論にいたった。この考えが「福音主義」である。
1517年10月、33歳だった彼は、ウィッテンベルクの教会の扉に、ラテン語で書かれた「95カ条の意見書」を貼りだした。これは、教会側の贖宥状販売に対する抗議文で、ここから宗教改革、プロテスタントがはじまった。
ルターは、「聖書中心主義」「万人司祭主義」を唱え、聖書をドイツ語に訳し、一般の人々に聖書を広めた後、1546年2月、胸を痛みを訴えた後、脳卒中を起こし、故郷アイスレーベンで没した。62歳だった。
「それそはそうだろう」と思われることでも、まわりが黙っている状況では、なかなか言いだしにくいものだ。たとえば、2013年9月に、アルゼンチンで、日本の首相が、
「福島(の原子力発電所)はアンダーコントロールである(管理できている)」
と笑顔で言ってのけたとき、日本人でそれをほんとうだと思っている人は、おそらくひとりもいなかったと思う。日本人はみんな、福島では放射能汚染水が地中や海に漏れだし、止めようとして止められないでいるのを知っていた。心で思っている事実と、口に出す発言の乖離は、戦争へ続く道である。
思っていることと、言うことばとを、ぴったりくっつけて、離れないようにしておくことは、とても大事だと思う。ただし、それには相当の勇気がいる。
ルターという人は、おそらく、付和雷同しやすい、ことなかれ主義の日本人の国民性とはおよそ縁遠い資質をもった人物だったろう。
(2013年11月10日)
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