10月25日・パブロ・ピカソの生命力 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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10月25日は、夭逝した天才数学者、エヴァリスト・ガロアが生まれた日(1811年)だが、画家、パブロ・ピカソの誕生日でもある。
ピカソの名前は、自分は小学校低学年のころから知っていた。当時、ピカソはまだ元気に絵を描いていた。この世界のすみの極東の島国の片田舎の子どもにさえ、名前を知られている現役画家とは! その存在の巨大さは、推して知るべしである。

パブロ・ピカソは、1881年、スペインのマラガで生まれた。本名は「パブロ」と「ピカソ」のあいだにたくさん聖人や血族の名が入る長いものである。父親は画家で、美術教師だった。パブロは3人きょうだいのいちばん上で、下に妹が2人いた。
小さいころから絵を描いていたピカソは、10歳になる年に美術学校に入学したが、そのころには、すでにプロの画家レベルの正確なデッサンを描いていた。
ピカソが13歳になったとき、父親は息子の偉大な才能に脱帽し、絵画の道具をすべて息子に譲った。そうして以後、生涯絵筆を握らなかったという。
バルセロナ、マドリードで美術を学んだピカソは、授業に失望し、16歳のとき、王立の美術アカデミーをやめた。
19歳のとき、仏国のパリで初の個展を開き、パリで暮らしはじめた。このころがピカソの「青の時代」と呼ばれる時期で、彼は青を基調とする、貧しい人々の絵を描いた。
その後、明るい色調で統一された「ばら色の時代」をへて、25歳のとき、アフリカの民芸美術に影響を受けた「ガートルード・スタインの肖像」を発表。
26歳で、「アビニヨンの娘たち」を発表した。この作品は、いろいろな視点から見た画像をひとつにまとめて表現する手法、キュビズムの出発点となり、
「これが芸術か?」
と世界の美術界に大論争を巻き起こした。
それから、モデルの形のおもしろさと、豊かな量感に特徴のある「新古典主義」の後、物を単純化し象徴的に描いた「シュルレアリスム」の時代に突入した。
56歳のとき、スペイン内戦に介入したドイツ空軍がスペインの町、ゲルニカを爆撃した事件に触発された大作「ゲルニカ」を発表。
生涯にわたって、つぎつぎと作風を変え、それがそのまま20世紀美術の革命となった。彼は絵画のほかにも、彫刻や版画など、さまざまな表現手段で亡くなる寸前まで意欲的に創作を続け、1973年4月、南仏のムージャンで、肺水腫により没した。91歳だった。

ジャン・コクトーが「美よりも早く走る」と評したピカソ。自分はピカソが大好きで、美術館に行けば、いつもピカソ作品の前でしばらく足をとめるし、ピカソ展があればかならず観に行く。両手でないと持てない重たい画集も持っている。ピカソの好きなところは、絵を観ていると「人間っていいなあ」と思われてくるところである。生きていると、つまらない失敗や後悔や、つらいこと、悲しいこともあるけれど、そうしたもろもろを踏み越えて、なお前へ歩きつづけるピカソの生命力のようなものが、彼の作品を通して感じられ、その人間としてのたくましさに打たれるのである。逆に言えば、ある程度気力が充実しているときでないと、ピカソ鑑賞はつらい。ピカソの作品は、自分にとって、元気がないときはこちらが打ち負かされてしまう
、元気なときにはこちらの元気が倍増させられる、そんな不思議な力をもった芸術だと思う。
(2013年10月25日)



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