8月23日は、詩人の三好達治が生まれた日(1900年)だが、ロックバンド「ザ・フー(The Who)」のドラマー、キース・ムーン(1946年)の誕生日でもある。
自分は、フーのアルバムは、学生のころから聴いていた。日本では、あまりメジャーではないけれど、本国英国をはじめ、世界レベルではものすごく人気のある巨大なバンドで、そのメンバーのなかで、もっともいかれていて、破壊的なエネルギーを発散していたのが、キース・ムーンである。
キース・ジョン・ムーンは、1946年、ロンドンで生まれた。小さいころはいつも動きまわり落ち着きがなく、とりとめなく空想にふける子どもで、学校の教師はこう評した。
「芸術的感覚の発達が遅れている。そのほかの点ではばかげている」
キース・ムーンは12歳のとき、地元のバンドに加入し、学校帰りにドラムのレッスンに通った。当時から彼はいたずらと、爆発物に異常な関心をもっていた。
テクニカルカレッジをへて、ムーンは、昼間は会社の営業部で働き、夜はセミプロ・バンドのドラマーとして演奏する生活を送るようになった。
18歳のとき、「ザ・フー」のメンバーとなった。ムーンの加入によって、フーは活力にあふれたロックバンドとなり、天才ギタリスト、ピート・タウンゼントとともに破壊的なステージを繰り広げ、スターダムにのしあがった。タウンゼントがエレキギターをステージに叩きつけて壊し、ムーンはドラムセット蹴り倒した。彼がドラムを爆破し、メンバーともども大けがをしたこともあった。フーは成功し、ムーンは金持ちになった。
1978年9月、ムーンは英国ロンドンのメイフェアにフラットを借りた。そこで、禁酒した禁断症状をやわらげる鎮静剤を、ひと粒だけ飲むべきところ、32錠を飲んで死亡した。享年32歳だった。
ムーンは奇行で知られるが、まゆつばの話が多い。しかしこの話はほんとうだと思う。
亡くなる前年の1977年、キース・ムーンは米国カリフォルニア州、ロサンゼルスの西方のトランカスビーチに住んでいた。大きな家が数軒あるだけの海ばたで、ムーンのとなりは、たまたま映画俳優のスティーヴ・マックイーンの家だった。
マックイーンは、となりの家で大音響で音楽を鳴らしつづけるパーティーが何日もぶっ通しで続くのに閉口させられた。とくにムーンの家のバスルームには巨大なステンドグラスがはまっていて、そこのライトが一晩中つけっぱなしで、それがマックイーンの家のちょうど寝室を照らすのに悩まされた。マックイーンは電気を消してくれるよう何度も頼みにいき、一向に事態が改善されないのを知ると、ついにショットガンをもちだした。隣家のステンドグラスに向けてぶっ放した。そうして、家にもどったマックイーンは、ショットガンをおき、冷えたビールの栓を抜いて飲んだ。この一件について、ムーンは警察に通報せず、マックイーン側にひと言も苦情を言わなかったという(バーバラ・マックイーン、マーシャル・テリル共著、関田秀宣訳『スティーブ・マックイーン ザ・ラスト・マイル』枻出版)。まるで映画みたいな話である。
フーというと、「ピンボールの魔術師」「ババ・オライリー」「無法の世界(Won't Get Fooled Again)」などの名曲を思い出す。ショットガンのように鳴らされるタウンゼントのギターと、はげしくシャープに炸裂するムーンのドラム・ビートがなつかしい。彼らの音楽をあらためて聴くと、荒々しいなかにも、一曲一曲がどっしりとすわって動かない、立派な楽曲が多く、彼らの評価が世界的に高いのもうなずける気がする。
それにしてもムーンは、ただ者ではなかった。ロック・ミュージシャンでなかったら、彼はただの奇行好きの犯罪者だったかもしれない。彼のような人物といっしょにいたまわりの人は、たいへんだったろうなあ、と同情するとともに、彼といっしょにたいへんな時を過ごせた幸福をうらやましいとも思う。
(2013年8月23日)
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