8月19日・ココ・シャネルの解放 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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8月19日は、米大統領だったビル・クリントンが生まれた日(1946年)だが、ファッションデザイナーのココ・シャネルの誕生日でもある。
自分は若いころからシャネルが好きで、そのブランドの商品は持たなかったけれど、彼女の伝記はたいてい読んできた。彼女はファッションや香水をつくったが、なにより、彼女が示した生き方が、彼女の発明の最高の作品だという気がする。

ガブリエル・ボヌール・シャネルは、1883年に、仏国北西部のソーミュールで生まれた。母親は洗濯を仕事にしている未婚女性で、ガブリエルを産ませた男は、洋服を売り歩く行商人だった。ガブリエルが生まれたのは修道院が運営する慈善病院だった。
12歳のとき、母親が気管支炎で没すると、ガブリエルは修道院へ預けられた。
十代後半で修道院を出たガブリエル・シャネルは、裁縫をしながら、歌手を目指し、酒場で歌った。そのころの流行歌の歌詞のなかに出てくる「ココ」という名から、彼女は「ココ」の愛称で呼ばれるようになった。
そのころ、地元に駐屯していた仏軍の将校とシャネルは知り合い、23歳のころ、彼女はその男の愛人になった。将校の男は裕福な商家の跡取りで、彼は彼女を大きな屋敷に住まわせ、ぜいたくな暮らしをさせた。
25歳のころ、シャネルは、愛人の友人である英国人の金持ちと恋仲になった。三角関係の時期をへて、愛人の移譲がおこなわれ、彼女は新しい英国人の恋人にねだって、パリに帽子屋の店を出し、パリで暮らしはじめた。
この帽子店をふりだしに、シャネルは富裕層向けに女性向けのドレス、スーツ、バッグなどを、洗練された、動きやすいデザインで作り、事業を発展させていき、後には香水をも売り出した。一説に香水「シャネルの19番」は彼女の誕生日にちなむと言われる。
事業のかたわら、シャネルは詩人のジャン・コクトー、画家のパブロ・ピカソ、作曲家のストラヴィンスキーなどとも親交を重ね、芸術家のパトロンともなった。『肉体の悪魔』を書いて夭逝した作家、ラディゲの葬儀はシャネルが出している。
1971年1月、春のカタログの準備中に、30年以上住居としていたパリのホテル・リッツで没した。87歳だった。

彼女はまた、それまでコルセットでしめつけられていた女性のからだを、動きやすいスポーティーなデザインの服によって解放し、スカートにポケットをつけ、女性の服を機能的にした。そして、ジャージーの素材を使って、動きやすい、スマートな服を創った。彼女は、そうやってファッションの面から女性解放を支援したひとりだった。

貧しい私生児だったシャネルは、12歳で孤児となった。お針子から身を起こし、自分の頭と技量と、もって生まれたからだをフルに使って大事業家にのし上がり、世の中を渡った。彼女の成功は、後に続く女性たちのひとつのモデルになった。森英恵も、コム・デ・ギャルソンの川久保玲も、ミニスカートのマリー・クワントも、みんなシャネルの開いた道をたどった後輩たちだと言えると思う。偉大な先駆者だった。

シャネルはこんなことを言っている。
「成功はしばしば、失敗するに決まっているのがわからない人によってなし遂げられる」
(2013年8月19日)



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