8月16日・マドンナの成功の秘訣 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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8月16日は、「アラビアのロレンス」ことトーマス・ロレンスが生まれた日(1888年)だが、米国歌手のマドンナの誕生日でもある。
自分は彼女がデビューして以来のファンで、デビュー・アルバムの「バーニング・アップ」から、10枚目の「アメリカン・ライフ」まではCDを全部買って聴いていた。その後、あまり聴かなくなり、CDもどこかへいってしまったものがあるが、いまでも新曲はいちおう聴くし、ときどき初期のものを聴くことがある。「ボーダー・ライン」「ライク・ア・ヴァージン」「レイン」など、なつかしい。

マドンナ・ルイーズ・チッコーネは、1958年、米国ミシガン州ベイシティで生まれた。父親はイタリアからの移民だった。
マドンナが5歳のとき、母親が乳ガンで没し、それを機に彼女は性格が変わったという。
十代のころの自分について、マドンナは後にこうコメントしている。
「なにかをさがし求めている孤独な少女だった。よくいる反抗的な子どもではなく、なにか光るものをもった存在でありたかった。わきの下の毛はそらず、ふつうの女の子たちのするような化粧もしなかった。でも、わたしは努力していい女でいた……わたしはたいした人間になりたかったのよ」
ピアノ、バレエ、ダンスを習っていたマドンナは、ミシガン大学を中退し、19歳のとき、単身ニューヨークへ出た。
「ポケットに35ドルの全財産を入れて。いままでわたしがしたことのなかで、もっとも勇敢な行動だった」
彼女は極貧の生活のなかで、舞台のバックダンサーやヌードモデルの仕事をして食いつなぎ、チャンスを待った。21歳のころ、意気投合したミュージシャンとバンドを組み、クラブで演奏するようになり、彼女はボーカルと、ギターやドラムを担当した。
24歳のとき、レコード会社と契約。シングル「エヴリバディ」で歌手デビュー。
25歳の年に、デビュー・アルバム「バーニング・アップ」(原題、Madonna)を発表。大ヒットとなった。
26歳の年にリリースされたセカンド・アルバム「ライク・ア・ヴァージン」によって、マドンナは世界的なセックス・シンボルとなった。
その後も、「ライク・ア・プレイヤー」「エロティカ」「レイ・オブ・ライト」など話題作を発表し、つねに体制や常識に反抗するセクシャルな存在として人気を保ちつづけ、また女優として「ボディ」「エビータ」などの映画にも数多く出演している。

ニューヨークでの下積み時代、マドンナは寝る場所にも困り、食うや食わずの生活をしていた。そのころ、道を歩くときは、いつもマクドナルドの紙袋がないか目でさがしていたという。なかに、フライドポテトの食べ残しでも入っていないかと思って。
それから10年後には、彼女は大金持ちになっていた。2009年の彼女の推定年収は約110億円だという。
成功の秘訣について、マドンナはいくつかのインタビューでこういう旨を答えていた。
「成功するために大切なのは、あきらめず、やりぬくこと。きみには才能がないからべつの道を行ったほうがいいと周囲に説得されて、あきらめていった人をたくさんわたしは見てきた。わたしも回数多くそう言われたが、忠告にしたがわなかった」
こういうことを言うマドンナが自分は大好きだ。
(2013年8月16日)



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