8月10日は、明治維新の中心人物、大久保利通が生まれた日(文政13年、1830年)だが、米国の第31代大統領、ハーバート・フーヴァーの誕生日でもある。
フーヴァーは、1929年の大恐慌が起きたとき大統領だったため、多くの批判を浴びてきた人物で、米国史が専門の自分としては、日本のバブル経済がはじけたころから、ときどきふり返り、勉強してきた人物のひとりである。
ハーバート・クラーク・フーヴァーは、1874年、米国アイオワ州のウェストブランチで生まれた。父親はドイツ系の農夫、鍛冶屋で、両親ともにクエーカー教徒だった。
ハーバートは、6歳のとき父親が、9歳のときに母親が相次いで亡くなり、孤児となった。彼は親戚の家を転々としながら成長した。
フーヴァーは大学で地質学を専攻し、卒業後は鉱山技術者となって、オーストラリアの金鉱や、中国、天津の鉱山などで働いた。中国では義和団の乱の修羅場を生き抜いた。
第29代大統領のハーディング、第30代大統領のクーリッジの両政権で商務長官を勤めたフーヴァーは、54歳の年に共和党の大統領候補となり、国民に経済的繁栄を約束して、圧倒的な勝利をおさめた。しかし、大統領に就任したその年の10月の「暗黒の木曜日」に、ニューヨーク市場の株価が大暴落し、世界大恐慌におちいった。
フーヴァー政権は、保護主義の経済政策をとった。輸入品に対して高い関税を課し、国内産業を守り、国民に対しては、現状を克服するための個人個人の努力を求めた。
米国の保護主義政策によって世界各国の輸出は細り、各国が報復措置として高い関税をかけ、国際貿易のお金の動きは止まった。「不況」とは、もっているお金が減ることではなく、お金の動きが止まることである。国際経済よりも国内経済を優先しようとしたフーヴァーの政策が、世界の大恐慌に拍車をかけた、という意見には一理あると思う。
1932年、フーヴァーが58歳のときの大統領選では、民主党のフランクリン・ルーズヴェルトに圧倒的な大差をつけられて敗北し、ホワイトハウスから去った。
第二次世界大戦後は、トルーマン政権下で、敗戦後の飢餓状況にあった日本やドイツへの食糧供給を促進させ、彼はアイゼンハワー政権のもとでも働いた後、1964年10月、ニューヨークで没した。90歳だった。
大統領の椅子にすわったら、大恐慌が起きた。フーヴァーは運の悪い大統領だった。彼の保護主義政策が、結局日本やドイツを暴発させ、第二次大戦の遠因となったとも見える。自分は個人的には、フーヴァーがクエーカー教徒だったことも、これにすくなからず関係しているのではないかと考えている。クエーカーの人たちは、清貧を重んじる。だから、フーヴァーは、とうぜんのように国民に自助努力を求めた。でも、ほかのプロテスタントやカトリックや異教徒たちはそうはいかない。すぐに、
「死ぬのは奴らだ(Live and Let Die: ほかの者を死なせても生きる)」
と叫んで、排他的行動に走る。そうなのではないか、と思うのだが、どうだろう。
ちなみに、フーヴァーは、鉱山関係の技術者として、また、国際援助の指導者として、ものすごく評価が高いらしい。
フーヴァーのことばにこんなものがある。
「若い世代こそ、祝福された人々だ。彼らは国の借金を相続する運命にあるのだから」(Blessed are the young for they shall inherit the national debt.)
こうしたことばにも、清貧を重んじるフーヴァー家の家風が出ている気がする。
(2013年8月10日)
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