6月15日は、「アイデンティティ」の概念を提唱した精神分析家、エリクソンが生まれた日(1902年)だが、服飾デザイナー、小篠綾子の誕生日でもある。
小篠綾子は、ヒロコ、ジュンコ、ミチコという3人のファションデザイナー「コシノ」姉妹の母親としても知られる。以前、NHKの朝の連続テレビ小説枠で、小篠綾子の生涯をドラマ化した「カーネーション」という番組をやっていたので、彼女の生涯は全国的に周知の事実かもしれない。自分は、その番組を観ていなくて、コシノ三姉妹は知っていたが、母親のほうを知ったのはごく最近だった。知って、感心した、たいした女性だ、と。
小篠綾子は、自伝によると、1913年、大阪の岸和田で生まれた。父親は呉服商で、「一生糸へんで食べていけるように」との願いから「綾子」と名付けられたという。彼女は、9人きょうだいの2番目だったが、上の長女が生まれてすぐ亡くなり、ほかに男の兄弟4人がみなそろって3歳で死んで、女ばかりの4人姉妹となった。綾子は占い師に、
「あんたみたいな強い星の女の子がこの家にいるから、男が育たんのや」
と言われたことがあるらしい。(小篠綾子『コシノ洋装店ものがたり』講談社)
彼女は15歳のとき、ミシンの魅力にとりつかれ、女学校を中退し、洋装店へ丁稚奉公に行った。和服を扱う商家の娘にあるまじき裏切り行為だったが、父親はそんな彼女を突き放すようなふりをして、ひそかに応援しつづけた。父親は、当時とても高価だったミシンを手に入れてきて、家においておき、知らぬふりをして、こう言うような人物だった。
「家の中にあるんや、誰のでもええがな、要るようになったら誰か取りに来るやろ。それまでは使わしてもらえ」(同前)
何軒かの店で丁稚奉公した後、小篠綾子は独立。自分で洋装店を開業した。みずから注文とりに駆けずりまわり、まだ着物で接客をしていたデパートや病院に、洋服の店員用ユニホームや看護婦の制服を提案するなど、すぐれた才覚と行動力、そして労を惜しまぬ重労働で、洋装店の経営を軌道に載せた。
太平洋戦争で夫が戦死すると、残された3人の娘を女手ひとつで育て上げた。育った3人は、それぞれが独力でファッション・デザイナーとなり、成功を収めた。
娘たちの活躍をよそに、岸和田で洋装店を続けていた綾子は、74歳のときに「アヤココシノ」ブランドを発表。たがいにライバル意識をむきだしにして競い合っている娘たち3姉妹の戦いに、母親もいざ参戦せんとする気概を見せた。2006年3月、没。92歳だった。
ヒロコ、ジュンコ、ミチコのコシノ3姉妹は、みな離婚経験者だという。
女手ひとつで3人の娘を育て上げた母親を見て育った影響だと分析する人もいるが、そうではなく、彼女らがみな自分の職業をもって、経済的に自立しているから、結婚にしばられることなく、自由になりたくなったら、躊躇なく離婚できた、そういう見方をするのが妥当だと自分は考える。
自分の知っている女性の会社員でも、給料のいい会社に勤めている女性は、かなりの率で離婚している。いざ夫婦の関係が危機におちいったとき、彼女たちは、がまんしてまで結婚生活を続ける必要性を感じないからだろう。よく言われることではあるが、やっぱり、資本主義の社会では、女性が解放されるためには、経済力が欠かせないようだ。
(2013年6月15日)
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