6/6・トーマス・マンの魔の本 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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Something to remember today. 今日の日が流れて消え去ってしまう前に。

昔から、芸事は6歳の6月6日からはじめると上手になると言われている。この芸事の日、6月6日は、天才テニスプレイヤー、ビョルン・ボルグが生まれた日(1956年)だが、独国の作家、トーマス・マンの誕生日でもある。
自分はマンの小説『魔の山』を学生のときに読んだ。あれは「魔の本」だった。

パウル・トーマス・マンは、1875年、独国のバルト海に面した街、リューベックで生まれた。父親は穀物商人で政治家でもあった。母親はブラジル人とドイツ人の混血で、パウルは、5人きょうだいの2番目の子だった。
裕福な環境に育ったマンは、本好きで、詩作にふけるなど、文学青年だったが、学校での成績はあまりよくなく、落第を繰り返した後、高校を中退して、17歳で保険会社で働きはじめた。会社員をしながら小説を書いていたが、文筆一本で生きることを決意し、退社。
自分の一家の歴史を題材にした長篇小説をかきはじめ、26歳のときに、その小説『ブッデンブローク家の人々』を完成。出版されるとベストセラーとなり、彼の出世作となった。
彼は同性愛傾向を持っていたが、30歳のとき、裕福なユダヤ人実業家の娘と恋に落ち、結婚した。以後、
『トーニオ・クレーゲル』
『ヴェニスに死す』
『魔の山』
などを書き、54歳のとき、ノーベル文学賞を受賞した。
このころから、台頭してきたナチズムに対して、その危険性を訴えていたが、1933年1月、彼が57歳のとき、ヒトラーが首相になると、マンはたまたま講演旅行中だったスイスにそのまま亡命して、ドイツへは帰らなかった。母国ドイツにあった彼の財産は没収された。第二次大戦中、マンは米国へ移り、ルーズベルト米大統領の賓客として、ホワイトハウスに滞在した後、カリフォルニア州パシフィック・パリセーズに家を建てて住みはじめ、69歳のときに米国の市民権を得た。
戦後の77歳のとき、ふたたびスイスにもどったマンは、1955年8月、動脈硬化症により没した。80歳だった。

自分は、『トーニオ・クレーゲル』『ヴェニスに死す』やマンの評論や講演記録を読んだが、なかでも『魔の山』は、自分にとって忘れられない読書体験だった。あの話は、たしか主人公が結核にかかって、スイスの高地にあるサナトリウムで療養する話である。そのサナトリウムで繰り広げられる思想劇だったと思うけれど、あの厚い本を読みはじめたとたん、自分は風邪で寝込み、一週間近くふとんのなかで過ごした。ふとんのなかで『魔の山』をずっと読みつづけた。そうして、読み終わるころ、風邪が治った。サナトリウムを出て、下界に下りてくる主人公といっしょに、自分も下りてきた感じだった。『魔の山』から帰ってきた、という実感があった。あの本は自分にとって、心身ともにひたってしまう「魔の本」であり、いまでもはなんだか怖い。
病は気から、で、日本語のタイトルがいかめしいために、自分は暗示にかかった、そんな気もする。原書のタイトルは、Der Zauberberg で、『魔法の山』『呪文の山』などとも訳せる。そんな書名だったら、自分もあんな風に寝込むこともなかったのではないか、と。英訳書のタイトルは、The Magic Mountain (マジック・マウンテン)。遊園地のような楽しい書名である。
とにかく、からだにくる読書もある。マンという人は、恐ろしい本を書く人だと、自分は身をもって知っている。
(2013年6月6日)



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