6月1日は、柔道家、山下泰裕(1957年)が生まれた日だが、米国の映画女優、マリリン・モンローの誕生日でもある。
その昔、アフリカの奥地に分け入った米国の探検隊が、文明社会とまったく接触のなかった未開の原住民に出くわすと、その原住民は言った。
「アメリカ? マリリン・モンローのいる国だな」
まったく、この世でマリリン・モンローほど有名な女優はいない。
マリリン・モンローは、1926年、米国のロサンゼルスで生まれた。誕生時の本名はノーマ・ジーン・モーテンセンだった。彼女は、母親が再婚した夫とはべつの男性と関係をもって生まれた私生児だった。両親はノーマ・ジーンが2歳の年に離婚。さらに、彼女が7歳のとき、母親がうつ病を発症、入院した。そんなことから、彼女は近所の家庭や、孤児院、親戚に預けられ、転々とした環境で育ち、16歳のときに、生活の便宜のため、航空会社の整備工と結婚した。第二次世界大戦中のことだった。夫が海軍に召集されて家を留守にすると、ノーマ・ジーンは部品工場に勤め、モデルとなり、女優となった。
27歳のときの映画「ナイアガラ」でモンロー・ウォークを披露。以後「紳士は金髪がお好き」「帰らざる河」「七年目の浮気」「お熱いのがお好き」などに主演。ハリウッドを代表するセックス・シンボルとして世界中の男性を魅了した。
派手に浮名を流すセクシー女優の一面ばかりが強調されるが、彼女は演技の研究に熱心な勉強家で、アクターズ・スクールの伝説として語り継がれるほどの演技力の持ち主だった。しかし、しだいに薬物依存が進み、映画撮影に支障をきたすようになり、1962年8月、ロサンゼルスの自宅で全裸で死亡しているのが発見された。36歳だった。睡眠薬の大量摂取による自殺とされるが、陰謀・暗殺説も根強い。
自分はマリリン・モンローが好きで、彼女の映画のDVDもたくさんもっている。映画のなかのモンローは、色気よりも、まず「かわいらしさ」に驚かされる。あれは、モンローがそう演技しているからで、そう考えると、演技派女優「モンロー」がすこし見えてくる。
マリリン・モンローは、男性優位社会の犠牲者だった。
ブルネットの彼女は、ブロンドに髪を染め、頭の弱いブロンド女を演じつづけた。彼女が本を読み、なにかを勉強しようとすると、夫たちも、仕事仲間も、男たちはみな、そんな彼女の努力をばかにした。彼女の伝記を書いた作家たちも、彼女を上から見下ろして書いた。没して四半世紀たち、女性解放運動家のグロリア・スタイネムが、マリリン・モンロー伝を書いて、はじめて彼女の魂は救われた、そういう気がする。
彼女は、駆け出しのころを振り返って、こう語っている。
「私がモデルをはじめたとき、それは仕事の一部のようなものでした。(中略)女の子たちは誰でもみんなしたわ(中略)つまりプロデューサーが脚本について話し合うために女優を自分のオフィスに呼びつける場合、彼の頭のなかにあるのは仕事の話だけじゃないのよ」(グロリア・スタイネム著、道下匡子訳『マリリン』草思社)
彼女は、下司な連中が幅をきかせる男性優位社会の犠牲となり、またその下司な連中を利用してのし上がった女性だった。いずれにせよ、痛ましい、悲劇的な人生だった。
マリリン・モンローは、こう言っている。
「犬にかまれたことはないわ、かむのは人間だけよ」
(Dogs never bite me. Just humans. ― Marilyn Monroe)
(2013年6月1日)
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