5月30日は、多色刷りのシルクスクリーンで知られる芸術家、ヒロ・ヤマガタが生まれた日(1948年)だが、「キング・オブ・スウィング」ベニー・グッドマンの誕生日でもある。
テレビのドキュメント番組などで、戦後間もないころの東京の風景が映し出されることがあるが、そのときかならずといっていいほど流れるのが、ベニー・グッドマンの「シング・シング・シング(Sing Sing Sing)」である。グッドマンのジャズ音楽は、日本人にとって、暗い軍国主義時代が終わって、自由にものの言えるデモクラシーの時代になった、その象徴だった。
ベニー・グッドマンは、1909年、米国のシカゴで生まれた。父親はワルシャワからやってきたユダヤ人移民だった。貧しい家庭に9番目の子として生まれたベニーは、11歳のころからクラリネットを習いだし、やがてバンドで演奏をはじめた。
12歳の年にプロ・デビュー。高校に入学する前年だった。高校時代も、タンスホールのバンドメンバーとして演奏を続け、17歳のときにはじめてレコーディングに参加した。
ベニーは19歳のころ、所属する楽団とともにニューヨークへ本拠地を移し、その後、ベニーは楽団を離れてソロとなり、23歳のころには自分で楽団を率いるにいたった。
28歳のとき、グッドマンのバンドはカーネギー・ホールでコンサートを開催。この有名なホールで、ジャズコンサートをおこなった最初のミュージシャンとなった。
ラジオ放送やコンサートなどで人気を博し、スイングの全盛時代を担い、「キング・オブ・スウィング」と呼ばれた。
1986年6月、心臓発作により、ニューヨークの自宅で没した。77歳だった。
「シング・シング・シング」のほか、代表的な楽曲に「身も心も」「サヴォイでストンプ」「素敵なあなた」「可愛い娘をみつけた」「その手はないよ」などがある。
グッドマンは、大学などの教育機関を資料で検討して、ひそかに寄付を続けていた。なぜ寄付を秘密にするのかと問われると、グッドマンはこう答えたという。
「おおやけにすると、大学関係者が資料を持って殺到してくるからね」
姓名判断の世界には「音波姓名学」という分野があって、これは、名前の字の画数で運勢を占おうとするものではなく、その名を呼んだ音の響きから、性格や運勢を推し量ろうとする占い法である。わかりやすい例を挙げるならば、たとえば「まるみ」と名付けられた子どもは、ずっと「まるみ、まるみ」と呼ばれて成長していくので、しだいに人当たりのやわらかい人物になっていくにちがいない、というような考え方である。
この「音波姓名学」を考えたとき、「グッドマン」は、文字通り「いい人」という意味で、この上なくいい名前である。
グッドマンが全盛だった1930年代当時の米国では、ジムクロウ法による人種隔離政策をとる南部ではもちろん、北部でも、白人と黒人が同じバンドで演奏をすることはなかった。しかし、グッドマンはその習慣を打ち破り、黒人のドラマーやギタリストを採用して、自分のバンドでいっしょに演奏した。こうした習慣打破は、野球のメジャーリーグに、初の黒人選手、ジャッキー・ロビンソンが登場する10年以上も前のことで、このグッドマンの勇気ある改革は、画期的なものだった。
ベニー・グッドマンを、偉大なミュージシャンにした要因のひとつとして、彼自身の苗字も加えていいのではないかと、自分は思うのだけれど、どうだろうか。
(2013年5月30日)
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