5/20・バルザックの熱い思い入れ | papirow(ぱぴろう)のブログ

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Something to remember today. 今日の日が流れて消え去ってしまう前に。

5月20日は、英国の経済学者、J・S・ミルが生まれた日(1806年)だが、仏国の大作家、バルザックの誕生日でもある。
自分は中学生のころから、バルザックがえらい作家だと知ってはいたが、ほとんど読んではこなかった。短編をいくつか読んだくらいで、長いものは読み出してはすぐに挫折してしまう繰り返しだった。
「小説」というものが完成されたのは、19世紀だと言われていて、その完成者として筆頭に名があがるのがバルザックである。科学の方法論を小説に取り入れた彼の作品は、トルストイやドストエフスキー、芥川龍之介、谷崎潤一郎など世界中の作家に影響を与えた。「バルザック」は、まちがいなく世界文学の最高峰のひとつである。
が、それでもなお、バルザックの傑作は、彼が書いた作品より、むしろ彼の人生だろう。それほどバルザックの生きざまは豪快だった。

オノレ・ド・バルザックは、1799年、仏国の古都トゥールで生まれた。父親は軍隊の兵站部長で、かなり裕福な家庭だったらしい。
17歳のとき、パリの法科大学へ入学。両親は彼が公証人になるのを望んだが、バルザックはそれを嫌って、小説家を目指した。
32歳のとき『あら皮』で認められ、以後『ゴリオ爺さん』『谷間のゆり』など、生涯にわたって長短90編もの小説群を勢力に書きつづけた。
執筆の一方で、彼には強烈な事業欲もあって、さまざまな事業に手を染めた。借金をして出版社に出資したが、すぐに倒産。また新たに借金をして印刷会社を買収したが、これも倒産。その後、活字鋳造会社、銀山経営、鉄道会社への株式投資、と手を染めたのがすべて失敗し、借金はばくだいな額にふくれ上がった。
その借金を残したまま、1850年8月、バルザックは新たに借金して購入したパリの自宅で没した。残された借金は、亡くなる5カ月前に結婚した資産家の夫人が返済した。

バルザックは、執筆にとりかかると、ひと晩に40杯から60杯の濃いコーヒーを自分でいれて飲みながら、真夜中から翌朝の8時ごろまでぶっつづけで書いたという。

バルザックは、小説に「人物再登場法」という手法を用いた。ある小説に登場した人物が、べつの小説にも顔を出すというもので、これを思いついたとき、バルザックは妹に、
「ぼくに最敬礼しろ。ぼくは今、まさに天才となったところだ」
と言ったという。(小林信彦『小説世界のロビンソン』新潮文庫)
「人物再登場法」はすごいアイディアだが、実際に書く側にとっては、頭がおかしくなるような苦行である。バルザックの小説群「人間喜劇」に登場する人物はざっと二千人。こういう方法で書く人は、いずれ現実と虚構の区別がなくなってしまうだろう。
バルザックは、亡くなる間際、こう叫んだそうだ。
「ビアンション! ビアンションを呼んでくれ! あいつなら……」
「ビアンション」というのは、『ゴリオ爺さん』など数編のバルザック作品に登場する医者の名前である。

バルザックが小説を執筆中のこと。小説のなかで、ある場所に金が埋まっていることを書いていた。と、書いているうちに、本当にそこに金が埋まっているような気がしてきて、いても立ってもいられず、彼はそこの土を掘り返しに出かけていったらしい。
すごいと思う。自分はバルザックのこういうところが好きだ。
(2013年5月20日)


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