5月10日は、語呂合わせで「コットンの日」。 コットンの入った夏物衣料販売は5月に最盛期を迎えるというが、この日は、「ザ・ダンサー」こと、フレッド・アステアの誕生日でもある。
自分は、子どものころ、アステアの優雅さにあこがれて、よく彼のダンスをまねしたものだった。
フレッド・アステアは1899年5月、米国ネブラスカ州オマハで生まれた。母親は米国生まれで、父親はオーストリアからのユダヤ系移民(カトリック教徒)だった。4歳からダンス学校に通っていたフレッドは、子どものころからダンサーとして米国内各地を巡業し、17歳でブロードウェイにデビュー。
20歳のときにはすでにブロードウェイのスターだった。
ハリウッド映画界の「キング」クラーク・ゲイブルの紹介で映画界入り。映画会社への自己紹介文には、つぎのような旨が書かれてあった。
「歌はだめ。演技もだめ。踊りなら少々」
34歳のとき、映画デビュー。ジンジャー・ロジャースと名コンビを組んで、数々のミュージカル映画に主演、洗練された華麗なダンスで人々を魅了した。アステアが最初に契約した映画会社は傾き、つぶれかかっていたが、アステアの映画があたり、一気に経営を持ち直したという。
「トップ・ハット」
「踊らん哉」
「踊るニューヨーク」
「晴れて今宵は」
「ブロードウェイのバークレー夫妻」
「ロイヤル・ウェディング」
「バンド・ワゴン」
「足ながおじさん」
「パリの恋人」
などに出演。ジンジャー・ロジャースのほか、エレノア・パウエル、リタ・ヘイワース、オードリー・ヘップバーンなどとも華やかに踊った。
75歳のとき、「ザッツ・エンタテインメント」「タワーリング・インフェルノ」に出演し、健在ぶりを見せつけた後、1987年6月に肺炎のため没。88歳だった。
かのマイケル・ジャクソンも、アステアの大ファンで、子どものころ、妹のジャネット・ジャクソンといしっょになって彼のまねをしていたという。太平洋の向こうにも、自分と同じようなことをしているやつがいたのである。
マイケル・ジャクソンが、1983年の「モータウン25周年コンサート」を放映したテレビ番組で、「ビリー・ジーン」を歌い、そのなかで伝説となったムーン・ウォークをはじめて披露し、世界をあっと言わせたとき、そのすぐ後で、84歳のアステアがマイケルに直接電話をかけてきたそうだ。あこがれの人にダンスを褒められ、マイケルはとても喜んだらしい。フレッド・アステアに踊りを褒められたら、それはもう、光栄とか名誉とか、そういう次元の話ではない。
自分はフレッド・アステアの映画はかなり観たし、DVDももっている。伝記も読んだ。彼のやわらかにしなるひざや、軽やかなステップは、まねしようとして、なかなかまねできないものだが、本を読んで、ようやくその秘密がわかった。アステアという人は完璧主義者で、踊りは練習に練習を重ねて、ついに、涼しい顔で、何かのついでに楽々と踊っているかのように見えるくらいまで練習する人なのだった。スクリーン上で観る、あの洗練と優雅は、そうした地道な訓練の上に成ったものなのである。
日々堕落していくばかりの自分の肉体をかえりみるにつれ、アステアのあの優雅なダンスへのあこがれはつのる。優雅さを得るためには、練習が必要である。その前に、まず準備体操が必要である。
(2013年5月10日)
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