4/30・ガウスの態度 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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魔女たちの集まるヴァルプルギスの夜の4月30日は、米国のシンガーソングライター、ウィリー・ネルソンが生まれた日(1933年)だが、独国の数学者、ガウスの誕生日でもある。
ガウスの名前をはじめて聞いたのは、中学一年生のときで、そのときのことはよく覚えている。中一のときのクラス担任は数学の教師で、その先生がある授業中、こういう話をしたのだった。
「昔、外国のある学校で、数学の授業中のこと。その日はたまたま、先生はべつの用向きがあって、生徒たちにこんな問題を出した。『1から100までの数を全部足したら、いくらになるか?』この問題をやらせておけば、1時間くらいもつだろう、と先生は考えて、自分の用に取りかかった。ところが、ものの1分もしないうちに、ひとりの生徒が手をあげて『先生、できました』と言ってきた。見ると、ちゃんと答えは合っている。どういうふうに計算したか、聞いてみると……(と、計算方法を説明)。その生徒が、後の大数学者、ガウスだった」
その計算法を知って、自分はとても感心した。世の中には、賢い人がいるものだ、と。

ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウスは、1777年、現在の独国のブラウンシュヴァイクで生まれた。父親は、煉瓦職人だった。貧しい家庭で、母親は読み書きができず、ガウスが生まれた日付けについても、記録はしていず、ただ、キリストの昇天祭より8日前の水曜日に生まれた、と記憶されていて、後でその日付を計算したものだという。
前述の「1から100までの足し算」のエピソードは、ガウスが9歳だったときにあった実話らしい。学校の先生方は、自分たちに教えられることはもうないと、さじを投げた。これだけ図抜けた神童になると、まわりが放っておかず、校長や貴族に支援者が現れ、ガウスは周囲の援助を受けて大学に通った。
18歳のとき、正一七角形が作図できることを発見。それから、
「正七角形がコンパスと定規では作図不可能である」という証明、
「すべての代数方程式は少なくとも1つの根をもつ」(代数学の基本定理)という証明、
そのほか、数論、解析学、天文学、電磁気学の分野で数多くの発見、発明があった。
当時は、現代のような研究者としての数学者の職がなかったため、ガウスは貴族の援助で生活していたが、30歳のころ、ゲッティンゲンの天文台長に就いた。
1855年2月、ゲッティンゲンで没した。76歳だった。

自分は高校3年のとき、「数学(三)」の教科書の半分まで勉強したのが最後で、高校時代に勉強した内容さえほとんど忘れてしまっている。だから、正直なところ、ガウスがどういう画期的な業績を残したのか、その解説を読んでも、よくわからない。
ガウスの時代には、数学の学会誌や専門誌などのメディアがなかったため、新発見の学説を発表するためには、自分で論文を本にして印刷せねばならなかった。印刷するにはお金と手間がかかり、しかも発表したら発表したで、後にうるさい批判や論争がついてまわる。そうしたことどもを嫌って、ガウスは自分の研究のかなりの部分を発表しないまま亡くなってしまった。彼の研究の多くが日の目を見たのは、20世紀に入ってからだという。
針小棒大に自己宣伝をする昨今の日本の文化人の態度とは、みごとに正反対の態度である。
いろいろな意味で、まったく、恐ろしい人間もいたものだと驚かされる。
(2013年4月30日)


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