4月27日は、モールス電信気を発明したモールスの誕生日(1791年)だが、英国の歴史家、エドワード・ギボンの誕生日でもある。
自分は歴史学をやっていたこともあって、ギボンの大著『ローマ帝国衰亡史』はすこしだけ読んだことがある。それから、彼の自伝も読んだ。細かな部分は忘れてしまったが、基本的に前向きな人で、文章が上手な人、という印象がある。
エドワード・ギボンは、1737年4月27日(ユリウス暦による)、英国のパトニーで生まれた。父親は荘園領主の政治家だった。エドワードには、6人のきょうだいがいたが、みんな幼くして死んでしまい、彼ひとりが残った。
裕福な資産家の子息として育ったエドワードは、子ども時代は病弱だったため、学校を途中でやめ、自宅にひきこもって、もっぱら歴史の古典を読んですごした。
15歳の年に、オクスフォード大学に入学。
16歳のとき、ロンドンでローマ・カトリックに改宗。これは一代決心があってのことで、当時の英国では、英国国教の信徒でないと、一般の教育機関には籍をおけない決まりだった。改宗が知れると、エドワードはただちに大学から追放された。
エドワードは、父のはからいでスイスのローザンヌのプロテスタントの牧師宅へ預けられた。そして、その地で今度は、プロテスタントに改宗した。
英国へもどったギボンは、23歳のとき、国民軍に参加。軍には2年半ほど所属した。
除隊後は、ヨーロッパ各地を旅行したり、土地や屋敷の整理をしたりしてすごした。
36歳のとき、『ローマ帝国衰亡史』の執筆をはじめ、37歳のとき、下院議員になった。
39歳になる年に、『ローマ帝国衰亡史』の第一巻出版。第一刷はたちまち売り切れとなり、増刷が続いた。
50歳のとき、『ローマ帝国衰亡史』の第四、五、六巻が刊行され、『衰亡史』完結。
自伝を書いた後、1794年1月、痛風や急性腹膜炎など他の病気を併発して没。56歳だった。
『ローマ帝国衰亡史』は、その題名の通り、あの長い歴史をもつ巨大なローマ帝国が、いかに衰え、滅亡していったかをテーマに書き進められた歴史書である。
ギボンがローマを訪ねたのは、27歳のときだそうだ。そのときのことを後年、彼はこう書いている。
「元来私はあまり熱狂に動かされない性質であり、そして自分が実際に体験しない熱狂を気取ることを今まで常に軽蔑してきた。しかし二十五年を経た今日なお私は、自分が初めて永遠の都へ近づいてそこへ足を踏み入れた時に私の心を揺さぶった、あの強烈な感激を忘れることも表現するすべも知らない。寝つけない一夜を明かした翌日、私は昂然たる歩度でフォールムの遺跡を踏んだ。その昔ロムルスが立ちキケロが弁じカエサルが倒れた一つ一つの記憶すべき場所が、直ちに私の目に焼きついた」(中野好之訳『ギボン自伝』ちくま学芸文庫)
とても共感がわくくだりで、自分にはギボンの気持ちがよくわかる。
自分は、ローマを見ても、それほど興奮しなかったけれど、米国ヴァージニア州の、自分が研究していたコミュニティーを訪ねたときは、さすがに興奮した。自分の目が信じられない感じで、まさに夢心地だった(拙著『コミュニティー』を参照のこと)。
その情熱が、ギボンをして、あの大著を書かせたのだろうと思う。
誰でも、人生のなかで、こういう瞬間はあるのかもしれない。自分が思い入れのある場所や人を訪ねた瞬間の美しさ。われわれはそういう瞬間に出会いたくて生きているのだと思う。
ギボンを読むと、あらためて、ヨーロッパの人にとって、やっぱり、ギリシアとローマは、あこがれの時代なのだなぁ、ということがよくわかる。
では、日本人のあこがれはなにかというと、それは江戸時代だったり、戦国時代だったりするのかもしれない。おかしな連想だけれど、ギボンから、そんなことを考えた。
(2013年4月27日)
●ぱぴろうの電子書籍!
『コミュニティー 世界の共同生活体』
ドキュメント。ツイン・オークス、ガナスなど、世界各国にある共同生活体「コミュニティー」を具体的に説明、紹介。
www.papirow.com