4/1・不屈の作家、ミラン・クンデラ | papirow(ぱぴろう)のブログ

papirow(ぱぴろう)のブログ

Something to remember today. 今日の日が流れて消え去ってしまう前に。

エイプリル・フールの4月1日は、日本の映画俳優、三船敏郎が生まれた日(1920年)だが、チェコ出身の作家、ミラン・クンデラの誕生日でもある。
自分は、クンデラの熱心な読者ではないけれど、彼の書いた小説や評論をいくつか読んでいる。
きっかけは、若いころ、アメリカ映画「存在の耐えられない軽さ」を観たことで、この原作者がクンデラだったからである。

ミラン・クンデラは、1929年、チェコのブルノに誕生した。父親はピアニスト、音楽学者で、作曲家ヤナーチェクの弟子だった。
父親に音楽のてほどきを受けたミランは、プラハの音楽学校を卒業後、小説を書きはじめ、38歳のときに発表した『冗談』で作家としての地位を確立。
1968年、39歳の年に、冷戦下のチェコスロバキアで民主化が進んだいわゆる「プラハの春」が起き、彼はこれを支持。が、ただちにソビエト連邦の戦車軍団がなだれ込んできて「春」は粉砕された。これにより、クンデラの立場は暗転し、著書が発禁処分を受け、国内での作家活動が困難になった。彼はフランスへ逃げた。祖国は彼のチェコスロバキア国籍を剥奪した。
以後、クンデラはフランスの国籍を取得し、そちらで執筆活動をおこなうようになり、52歳のころからは、フランス語で作品を発表しだした。
55歳の年に発表した『存在の耐えられない軽さ』は、世界的ベストセラーとなり、アメリカで映画化された。
ほかの小説作品に『不滅』『笑いと忘却の書』『ジャックとその主人』『ほんとうの私』『無知』、評論に『小説の精神』など。

映画の「存在の耐えられない軽さ」は、冷戦下のチェコスロバキアで起きた「プラハの春」と、ソ連を中心とするワルシャワ条約軍によるその破壊という、1968年に起きた一連の事件を背景にした恋愛映画だった。セクシーでみずみずしく、独特の苦みを持った映画で、見終わった後も、重たい印象がずっと後まで残った。
いま、当時映画館で買ったパンフレットをながめながら書いているのだが、主演のダニエル・デイ・ルイス、ジュリエット・ビノシュ、レナ・オリンの三人が初々しくて、よかった。彼らはこの映画出演以後、出世して国際的な大スターとなっていく。
「プラハの春」の事件は、日本で言うなら、選挙で共産党が勝って政権を取ったら、米軍が東京を占領して、強引に新米政権にもどしてしまった、というような無残な軍事介入で、この映画をきっかけにして自分は、当時のチェコスロバキアをはじめとする東欧の状況にも興味をもつようになり、クンデラの作品も読み出したのだった。
クンデラの小説は、とても知的で、ヨーロッパ的教養があふれている。自分はそういう印象を持っている。

1994年に、日本の大江健三郎がノーベル文学賞を受賞した際、たしか大江は、受賞の報せを聞いて、こういう意味のコメントをしていた。
「クンデラなど、すぐれた作家がほかにもいるのに、自分を選んでくれて光栄である」
冷戦が終わり、チェコスロバキアという国もなくなってしまった。現代世界のスポットライトは、中国とかインド、北朝鮮、EU諸国、あるいはアジア、アフリカ諸国へと向けられ、東欧は注目を浴びにくい状況にある。だから、今後あらためてミラン・クンデラにノーベル文学賞が授与されることは、考えづらいかもしれない。
それでも、自分は、ジャヤカーンタン、村上春樹、ジョン・アーヴィングといった作家たちとともに、クンデラも応援していて、ノーベル文学賞発表の季節になると、
「クンデラ、受賞しないかなあ」
と胸をどきどきさせている。
言論の弾圧にあい、国を脱出さぜるを得ず、ついによその国のことばで作品を書きつづけなくてはならなかったクンデラの苛酷な運命と、そしてそれに負けない作家としての不屈の執念を思うと、ほんとうに頭が下がるからである。
(2013年4月1日)




●おすすめの電子書籍!

『4月生まれについて』(ぱぴろう)
ミラン・クンデラ、ダ・ヴィンチ、ブッダ、カント、ウィトゲンシュタイン、ランボルギーニ、忌野清志郎、吉田拓郎など4月誕生の30人の人物論。短縮版のブログの元となった、より長く、味わい深いオリジナル原稿版。4月生まれの存在意義に迫る。


www.papirow.com