1/11・明朗な神、ちばてつや | papirow(ぱぴろう)のブログ

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1月11日は、マンガ家、ちばてつや(敬称略)の誕生日。あの伝説の名作「あしたのジョー」を描いたマンガ界の大御所である。
ちばてつやは、1939年1月11日、東京生まれ。もの心つく前に彼の家族は中国へ渡り、彼は奉天で育った。ちばてつやは長男で、奉天で生まれた弟(三男)が、後に「キャプテン」「プレイボール」などの野球マンガで一世を風靡したマンガ家、ちばあきおである。
敗戦で混乱する大陸のなかを生き抜き、7歳のとき、ちばは日本へ引き揚げてきた。
東京へもどったちばは、ある日、道に落ちていたマンガ本を拾い、マンガに魅了される。
それからマンガを読み、自分でも描くようになる。
高校時代は貸本向けにマンガを描いていた。
19歳のとき、「舞踏会の少女」で雑誌デビュー。以後、さまざまな雑誌で名作を発表していく。
「ちかいの魔球」
「紫電改のタカ」
「ユキの太陽」
「ハリスの旋風」
「みそっかす」
「あしたのジョー」
「おれは鉄兵」
「のたり松太郎」
「あした天気になあれ」
ちばてつやは、手塚治虫とならび、日本マンガ界の第一人者となる。
「ハリスの旋風」や「みそっかす(テレビ版題名は『あかねちゃん』)」はテレビ・アニメとなり、人気を博した。
また、原作の高森朝雄(またの名を梶原一騎)と組んだ「あしたのジョー」も、テレビ・アニメとなり、映画化もされたが、雑誌連載中からその人気はすさまじく、登場人物のひとり「力石徹」がマンガのなかで死亡すると、ファンの呼びかけで、その葬儀が開かれるなど、社会現象となった。

ちばてつやは、「あしたのジョー」を描きながら、じつはボクシングのことをまったく知らなかったそうだ。
それで、主人公の「矢吹丈」のライバルである「力石徹」を、強そうに見せようと、ジョーよりずっと大きく描いてしまった。
雑誌に載ったそのマンガを見た、原作者の梶原一騎は、
「大変なことをしてくれた」
と頭を抱えた。
ボクシングでは、重量によって細かく階級が分かれているので、これだけ身長差があると、同じ階級にならないから、この宿命のライバル同士が闘えない、というのである。
それで、大きな「力石徹」は、ジョーと闘うため、マンガのなかで過酷な減量をしなくてはならず、ガリガリにやせて、ついに死んでしまった。
ちばてつやは、かわいそうなことをした、と書いていたと思う。
それが、あんな大騒ぎになってしまうんだぁ、と自分は驚いた。

マンガ家は、いまでこそお金持ちもいるし、立派な職業だけれど、ちばてつやがマンガ家を志した昔は、まともな仕事とされていなかった。
それより、もっと昔からいうと、まず明治初期のころは、子どもは親にこんな風にいわれたものだ。
「小説なんか読んで、そんなんじゃ、ろくな大人にならんぞ」
やがて小説家も、立派なひとつの職業と見なされるようになる。すると、子どもたちは、こういわれるようになった。
「映画ばかりみて、そんなんじゃ、ろくな大人にならんぞ」
やがて、映画産業が隆盛となる。すると、子どもたちは、こういわれるようになった。
「マンガばかり読んで、そんなんじゃ、ろくな大人にならんぞ」
やがて、大成功するマンガ家があらわれだす。すると、子どもたちは、こういわれるようになった。
「ギターばかり弾いて、そんなんじゃ、ろくな大人にならんぞ」
やがて、音楽産業は巨大になった。すると、子どもたちは、こういわれるようになった。
「ゲームばかりやって、そんなんじゃ、ろくな大人にならんぞ」
いまは、ゲーム業界はすごいことになっている。
いまの子どもたちは、何をしていると、しかられるのだろうか?
ただし、いわれることばは決まっている。
「とにかく、そんなことじゃ、ろくな大人にならんぞ」
(2013年1月11日)



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