12月30日は、敬愛する作家、横光利一の忌日(1947年)だが、英国初のノーベル文学賞受賞者、キプリングの誕生日でもある。キプリング、あの『ジャングル・ブック』の作者である。
ジョゼフ・ラドヤード・キプリングは、1865年12月30日、インドのムンバイ(ボンベイ)で生まれた。当時のインドは、英国の植民地だった。
キプリングの両親は英国人だったが、父親が美術学校の教師として赴任するため、新婚ほやほやの夫婦そろって、英国からはるばるムンバイへやってきた、そこでジョゼフが生まれたのだった。
ジョゼフ・キプリングは、5歳のころまでインドですごし、それから英国へ送られ、べつの夫婦に預けられて育った。
16歳のとき、インドへ呼び戻され、インドの新聞社で記者の見習いとして働きはじめる。
インドで処女詩集を出版し、新聞に短編小説を掲載し、キプリングの文名はしだいに高まっていく。
24歳のとき、彼は英国へもどり、短編小説を量産して、英国でも文名は高まっていった。
26歳のとき、3歳年上の女性と結婚したが、式のとき、花嫁の父親役代理を、『ねじの回転』の作者ヘンリー・ジェイムズが務めたという。
新婚のキプリング夫妻は、アメリカへ渡り、バーモント州に家を借りて、そこであの『ジャングル・ブック』が書かれた。
30歳のころ、夫妻はまた英国にもどり、キプリングは詩や小説などを書きつづけた。
35歳のとき、代表作『キム』を発表。このころ、キプリングは英国でもっもと人気のある作家のひとりだった。
1907年、41歳のときに、英語作家としてはじめて、また史上最年少でノーベル文学賞を受賞。
その後も執筆活動を続け、第一次大戦で息子が戦死するなどの不幸もあった後、1936年、70歳で没している。
ところで、英国には、「桂冠詩人」の称号がある。
王室により「桂冠詩人」の称号が与えられると、王室の慶弔の折に、詩を作っては読みあげる役目をになうのだが、キプリングはこの称号について何度か打診されたが断っていたという。
大英帝国華やかなりし時代の作家という印象がある。
インド、英国、米国をいったりきたりし、そして、一時期は毎年冬になると、南アフリカへいっていたというから、まだ船旅の時代に、世界をまたにかけて動きまわった、たいした国際派である。
それでも、どこへいっても英語ですませられたのだから、大英帝国の威光たるや、おそるべし、である。
キプリングの代表作いえば、あの、動物が人間のようにふつうに会話する物語『ジャングル・ブック』であり、アイルランド人の子どもが現在のパキスタンの街で成長する小説『キム』である。
こうした異国情緒あふれる物語が、20世紀初頭の英国では好評を博したということで「ある国際化時代」を感じさせる。
現代も国際化時代だけれど、キプリングの時代とはまったく異なった意味の国際化時代になっていて、現代は、情報通信が進んで、英国もインドもブラジルも日本も、みんなごっちゃになってしまっている。
たとえば、YouTubeにディズニー映画の『ジャングル・ブック』が流れて、世界各地でいっせいに視聴されたとしても、
「ああ、インドらしい異国風情があっていいなあ」
という受け止め方をする人はほとんどいない。そういうことである。
あるいは、世界で最先端のものを表現するということは、キプリングの時代には、まだ人々によく知られていない土地をのぞいてきて、そこを舞台にした何かを表現することだったが、現代では、自分のいるその国、その土地の個性を徹底的に追求することが世界最先端のものを表現することになる、と、そういうちがいがあると思う。
だから、自分たちは、そういう時代認識をもって、目の前の現実に立ち向かうべきなのだろう。
(2012年12月30日)
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