12月29日、いよいよ年の瀬の押し迫ったこの日は、20世紀最大のチェロ奏者といわれるパブロ・カザルスの誕生日である。
パブロ・カザルスは、1876年12月29日にスペインのカタルーニャ地方で生まれた。カタルーニャは、フランスと地中海に接している、スペイン東端の州で、州都はバルセロナである。
カザルスの父親は、教会のオルガン奏者で、聖歌隊の指揮者だった。
パブロは、4歳ですでにピアノ、フルート、ヴァイオリンが演奏でき、6歳のときにはヴァイオリン・コンサートを開ける腕前だった。
11歳のとき、はじめてチェロの生演奏を聴き、この楽器にほれこんだ。
母親は彼をバルセロナへ連れていき、音楽学校へ入れた。そこでカザルスは本格的にチェロの理論を学びだした。
カザルスは納得がいくまで練習を重ねる練習の鬼で、13歳のときバルセロナの音楽店で、もうボロボロになった中古のバッハのチェロの組曲の楽譜を手に入れると、それから毎日欠かさずその曲を練習しつづけ、彼が人前でその曲をはじめて演奏したのはそれから13年後だったという。
おそるべしバッハ、おそるべしカザルス、である。
17歳のとき、カフェでトリオ(三重奏団)で演奏しているところを、たまたま作曲家が見いだして、カザルスは宮廷での演奏会に飛び入りでゲスト出演することになる。
これがきっかけとなって、カザルスは王室から奨学金をもらいながら、首都マドリードで作曲の勉強ができた。
奨学金がきれた。18歳の彼はフランス、パリにでて、オーケストラのチェロ奏者の職についた。
それ以後、彼はパリで、バルセロナで、あるいはマドリードでと、オーケストラのチェロ奏者として、またソリスト(独奏者)として世界を演奏してまわり、しだいにその名声は高まっていく。
カザルスが学生だったころは、チェロは、両ひじをわきにくっつけて、堅苦しい恰好で弾くのが作法だったそうだ。
それをカザルスは、ひじをわきから離し、自由に動かすよう変更した。作法にこだわる演奏から、いい音色を追求する演奏へと技法改革をおこなったのである。
28歳のころ、カザルスは、ピアノのアルフレッド・コルトー、ヴァイオリンのジャック・ティボーと組んでカザルス・トリオを結成、トリオとして演奏活動をはじめる。
その後、指揮者兼ソリストとしてオーケストラに参加したり、さまざまな演奏活動をおこなった後、晩年には、スペインのフランコ総統の独裁政権に反対して演奏活動をやめてしまった一時期もあった。
彼の政治的立場は、一貫して反ファシズム、平和主義で、核実験禁止運動に参加し、第二次世界大戦が終わると、平和の象徴として「鳥の歌」の演奏をはじめた。これは、彼の故郷カタルーニャ地方の民謡をチェロの曲にしたもので、平和主義者カザルスのテーマ曲となった。
94歳のとき、ニューヨーク国連本部でカザルスは「鳥の歌」を演奏する前に、こうあいさつしたという。
「わたしの故郷のカタルーニャの鳥は、ピース、ピース(平和、平和)と鳴きます」
国連平和賞を受賞したカザルスは1973年、96歳で没している。
自分はクラシックにはうといが、若いころはさらに無知蒙昧だった。
そんな自分にも、カザルスについては、こういう思い出がある。
大学の卒業式があった晩、主任教授の自宅に、研究室の卒業生みんなでお邪魔して、教授の奥さまの手料理をご馳走になったことがあった。
自分は西洋史学専攻で、主任の川口博教授は京都帝国大学をでたネーデルランド史(オランダ史)の権威だった。
川口先生は、終戦当時は京大の学生だったようで、こんな話をしてくれたのをよく覚えている。
「広島に特殊爆弾が落とされた、というニュースを聞いたときは、わたしら文科の学生はわからなかったけれど、理科の学生は、知ってましたねえ、『あれは原子爆弾だ』って」
それくらいの世代の先生だった。
奥さまの手料理を食べ、酔いがまわってきたころ、
「これ、みんなにお聴かせしましょうか」
といって、先生が1枚の古びたレコードをとりだしてきて、ターンテーブルに載せた。
それは、カザルス・トリオによるベートーヴェンのピアノ三重奏曲第7番「大公」だった。
「カザルスのチェロに、コルトーのピアノと、ティボーのヴァイオリンの音がうまく溶け合って、これがいいんですね」
そう解説してかけてくれたレコードを、西洋史学科の卒業生たちは、かしこまって聴いていた。
自分は、ほろ酔いのいい心地で聴いていた。
アルコールにも酔っていたのだが、それ以上に文化の香りに酔っていた気がする。
自分の日常にある文化程度よりも、明らかに上にある「文化的なもの」に接した気分だった。
そのとき自分は、じつは「カザルス」の名も知らなかったのだが、酔った頭のかたすみに「カザルス」「ティボー」らの名だけはとどめていた。
それから10年以上たって、サラリーマン生活を送っていたある日、レコード屋でカザルス・トリオの「大公トリオ」を見つけ、
「ああ、これは」
と、運命を感じ、買い求めた。
アパートに帰って聴いてみると、やっぱり「うまく溶け合って、これがいいんですね」。
この音楽を聴くたび、川口先生のことを思いだす。
ふだんは、低俗な欲望と損得勘定に揺り動かされて生活していても、この音楽を聴くときだけは、ちょっと文化的な生活時間をもち、それに浸ることができる。
自分にとってカザルスは、そういう文化の香りのする音楽家である。
(2012年12月29日)
著書
『出版の日本語幻想』
『コミュニティー 世界の共同生活体』
『ポエジー劇場 子犬のころ2』