群馬県には、「毛」という文字がとても多い…
上毛高原、上毛三山、上毛三社、上毛電鉄、上毛かるた…
そして、群馬県を4つの地域に分ける言い方も「北毛」「中毛」「東毛」「西毛」という…
なぜこんなにも「毛」が多いの?
それは、「毛」が「木」や「穀」を表していて、群馬県が肥沃な土地だということを意味してる、とか…
「毛」が「毛唐」というように外人を表していて毛深い外人が多く住んでいたから…
などなど、諸説ありますが、ハッキリとしたことは分かっていないそうです…
昔、古墳時代の4~5世紀あたり、群馬県と栃木県の北関東一帯地は「毛野国(けののくに)」と呼ばれ、出雲、大和と並ぶ強大な勢力を誇っていたらしい…
そして、群馬県あたりは上の方の毛野国ということで「上毛野国(かみつけのくに)」、栃木県あたりは下の方の毛野国で「下毛野国(しもつけのくに)」と呼んでいたらしいです。
しかし、藤原不比等が編纂した大宝律令により、「国名は2文字でないとダメ!」という漢風二文字の謎ルールが出来…
上毛野国は「上野国(かみつけのくに)」、下毛野国は「下野国(しもつけのくに)」となることを余儀なくされ、毛野国の人々は泣く泣く「毛」を手放すことに…
(どうせなら「野」を手放すべきでは!?)
この「国名は2文字じゃないとダメ!」ルールは、おそらくですが…
藤原不比等が「毛」を抹殺するために作った法律だったのかも!?🤔💦カンガエスギ?
日本を貶めることに熱心だった不比等が、「毛」の抹殺にも力を入れていたかもとなると…
俄然、「毛」の重要性が増してきます🤔💦
そして、そんな不比等の迫害に遭いながらも北関東の人たちはジワジワと(シレッと?)「毛」を復活させ、日常のあちこちで「毛」を使い、今日に至るまで大切に守って愛し続けている…
「毛(ケ)」は、元々は「キ」とも言っていたようで、「キ」が訛って「ケ」というようになったみたいです。(或いは、外国語だったので発音が曖昧だったとか?キにもケにもクにも聞こえる?)
なので、「キ」も「ケ」同様に、「栃木」「茨城」などの地名、「赤城山」などの山名、「鬼怒川」などの川名、「赤城神社」などの神社名にさりげなく入れて、大切に守られて来た…
藤原不比等が法律を作ってまで消し去りたかった憎っき「ケ」…
地元民が、時の権力者の迫害に遭いながらも大切に守り愛し続けて来た「ケ」…
いったい「ケ」とは、何なのでしょうか?🤔💦ウーン
そして、北関東だけではなく東日本全体に毛の地名は網羅されていく…
これは……
なぜ、アマテラスを中央にして神棚に飾らなければならないのか?
なぜ、諏訪の神様だけ神在月に出雲に呼ばれないのか?
なぜ、「イサナキ」のミコト「ニニキノ」のミコト、「ニキハヤヒ」のミコトは、「イザナギ」「ニニギ」「ニギハヤヒ」と称されるのか?
なぜ「ヒミコ」は、「卑弥呼」と表記されるのか?
なぜ、「鬼は外、福は内」と豆撒きで言わされるのか?
なぜ、私たちは桃太郎の鬼退治の話を教え込まれているのか?
…などなど
私たちが日常、特に疑問に思わず、いつの間にか刷り込まれていることの「なぜ」に繋がっていく…(と、思っている(^o^;)アヒャ)
そして更には、人類の起源から未来にまでも関わっていく…(と、勝手に思っている(;^_^A)
北関東の「ケ」「キ」には、そんな意味が秘められていると思うのです(;´-`)イイスギカナ?
そのことを考えると何だか1人で興奮してしまいます
日本人である私たちの知らないところで、私たち日本人の大事なものが徹底的に破壊され、踏みにじられ、忘れ去られている…
そして、ホントの親がいるにも関わらず、見知らぬ人をお父さん、お母さんと思わされ、尚且つそのお父さんお母さんは自分を拐ってきた人さらいだった?…という、そんな怖さに似ていると思うのです。
そんな壮大な「ウソ」の中に私たちは、知らない間に居させられてるのかもしれないな~と、考えたりもしてしまいます
それを、解くキーワード「キ」「ケ」もしくは「ク」
いったい「キ」「ケ」「ク」とは何なのか?
「真実を知りたければ、"時系列"で追っていけばいい」
Если вы хотите узнать правду,
просто следуйте «Временной ряд».

↓以下は、歴史好きの祖父に教えられて来た話を元に歴史素人の私が感覚的に思ったこと書いているので、史実と違うかもしれません…ご了承下さい🙏💦
↓以下、めっちゃ長いです
キは豊城入彦のキ?
豊城入彦命(崇神天皇の長男)は、崇神天皇から東国平定の命を受け、およそ3世紀~4世紀頃千葉県葛飾郡(カツシカゴウリ)に上陸し、群馬県を拠点としながらその勢力を拡大していきます。
なぜ、内陸奥地の群馬県に?という疑問が涌きますが、当時の地図を見れば一目瞭然↓
その後、豊城入彦命が勢力を拡大すると共に、まるでその痕跡を残すかのように「トヨキイリヒコ」の「キ(ケ)」が北関東中の地名や建造物名に撒き散らされて行きます。
どうも北関東にある「キ」のそもそもの発信源は豊城入彦命にあるような…
豊城入彦命の「キ」はどこから来ているのか?
では、そもそも「トヨキイリヒコ」の「キ」はどこから来てるのでしょうか?
それは、恐らく父親の崇神天皇の名前から来ているのだと思います。
崇神天皇の諱(いみな・本名)は、
「御間城入彦五十瓊殖(ミマキイリヒコイニエ)」と言います。
(ここに突如現れる"五十"にも注目)
(余談ですが、この天皇は本来の日本の天皇?という印には、和風諡号(わふうしごう・亡くなってから付ける名前)、諱(本名)などに「キ」「ケ」「中原」「五十」など…が付く…と勝手に思っています(^o^;))
この時代は、家祖となる人や一族の大事な人や跡継ぎになぜか「キ」を付ける習慣があったそうなのです。(なので、トヨキイリヒコノミコトの弟の活目入彦命(イクメイリヒコノミコト)には「キ」が付きません。)
そして、この「御間城入彦五十瓊殖(ミマキイリヒコイニエ)」こと崇神天皇の政府地は木の国(紀州・和歌山県)にあり(紀ノ川河口あたり。和歌山県伊都郡誌より)、そしてこの木の国は木氏一族の「木角宿禰(きのつののすくね)」が支配する国でもあります。
ここで、またもや「キ」が現れる…
「木角宿禰」とは…?
かの有名な武内宿禰の五男坊で、葛城襲津彦(カツラキノソツヒコ・この時代はカツラキノソツヒコ、ニキハヤヒ、ナカスネヒコがそれぞれ独立国として力を持ち、それを崇神天皇が攻撃、和合しながら大和王権を作っていった時代)のお兄ちゃんでもあります。
この「木角宿禰」は、崇神天皇と同じ領内に住み、親戚関係(崇神天皇の第一妃(側室)が木氏の息女)にありました。
そして、「木角宿禰」にも現れる「キ」…
「角」までくっついている…(角については、後程)
そして、この「木角宿禰」は、渡来人だったと思われます。
なぜなら、私の先祖は新羅から来た渡来人で、この「木角宿禰」と親戚関係にあったようで同じ領内に仲良く住んでいたからです。
当時、この「木角宿禰」を頼って朝鮮半島から移住してきた渡来人が大勢いたそうで、木の国の人口の実に9割近くは渡来人で占められていたといいます。
木の国(和歌山県)は、大陸文化の伝播拠点となっていて、異郷観溢れる特殊な文化地帯となっていたらしい…
なので、その大勢の渡来人に頼られる「木角宿禰」も渡来人であった可能性が高いと思いました。(木氏の墓と言われる大谷古墳からも副葬品は大陸のものしか出ていない。)
木氏と親戚関係にあった私の先祖は、新羅から来たので、おそらく木氏も新羅から来たのかもしれません。
すると…
またもや「シラギ」と、「キ」が出てきます。
そして、次なる「キ」は…
朝鮮建国者の「箕氏(キシ)」。
そしてこの「箕氏」は、どこから来たのかというと…
中国最古の王朝である殷王朝の28代目の王、文丁の子で、殷王朝滅亡後朝鮮にやって来ました。
そして、この殷王朝ですが…
建国に関わる「九夷(きゅうい)」
という民族がいて…
この「九夷(きゅうい)」と呼ばれる民族はシュメール人で、メソポタミア南部にいたシュメール人がアモリ人に侵略されて滅亡し、中国に移動して来て殷王朝を建国した…という説もあります。
ついに、「キ」だけでシュメール文明までたどり着きましたが…(かなり無理クリ?(^o^;))
…で、
「キ」探索の道は、ここ「シュメール」で何となく止まってしまう…
時系列で終えない
でも、「キ」には何か大いなる秘密があるはず!
気になる「キ」…
と、悶々としていると…
この問題を解いてくれそうな動画に出会いました。
よしさんに聞いてみる
YouTube「考え方の学校Yoshi SunTV」のよしさんは日本や世界の歴史について非常に詳しく、膨大な知識をお持ちの方です。


早速よしさんのお話し会に出掛けて質問してみました。
よしさんに一通り説明して、「この古代の人や地名に散らばる"キ"って一体何なんでしょうか?」
と、聞くと…
よしさんは、とても気さくな良い方で、「え~キ?一文字?うーん。キだけで辿るのは難しいんじゃないかな?」と、バカにもしないで一生懸命考えてくれましたが、結局答えは分かりませんでした。(よしさんは知らないことがないので、多分、私の聞き方が悪い…)
よしさんがピンと来ないということは、「キ」には特に意味がないのかも…
TOLAND VLOGさんの「キ」の動画
…と諦めかけていると、TOLAND VLOGさんの動画で、なんと「キ」についてマサキさんが語っているシーンがあったのです(動画は、なぜか削除されていました。)
鍵の一族は、色んな秘密を持っている一族で…
武内宿禰の末裔の一族で、その地を守っているそうで…
武内宿禰といえば、木角宿禰のお父さんだから木氏の末裔ということにも!?
そして、
「ki」 →「key 」→「鍵の一族」→「武内宿禰(木角宿禰)」
と繋がっていくとか…!?
その鍵の一族が住む土地とは長野県にある「王滝村・おうたきむら」ということらしい…
すごい!
「キ」には、やっぱり何かあるのかも!と、思いました
すると…
同じくTOLAND VLOGさんの動画で、ペトログリフ研究家のた武内一忠先生が「キ」について語られていたのでビックリしました。



日本に一番最初に入って来たシュメールの人たちは、「ウル」の人たち…
のこと。
「イル」は「祈る」、「ク」は「キ」、なのでイラクは「キ」の神様に祈る…という意味になるという。
えー!「キ」という神様がいるんだ!
「キの神様」ってなに?
それは、シュメールの最高神天神アンの奥さんの大地の女神「キ」。
(ちなみに、天神アンを祀るのはイラン。「イル(祈る)」+「アン」=イラン)
そして、それはシュメールの「ナーガ信仰」と言われる「蛇神信仰」。
いわゆる「龍神さま」。
それが、なんと日本の信仰のルーツであるというのです。


大地の女神「キ」とは?
もし、日本中の地名や人名に散らばる「キ」のルーツが、この「大地の女神キ」なのだとしたら…
人々が迫害されても暗号のように密かに隠し持ち、地名人名に入れて大切に受け継がれてきた「大地の女神キ」とは一体何なんでしょうか?
そして、なぜ隠さなければならなかったのでしょうか?
実は、この「大地の女神キ」こそが、超古代の謎を解く重要な鍵(キー)となるようなのです
「大地の女神キ」は、シュメールの最高神アンが、地球に降り立つ前から、地球上に存在していたといいます。
その姿は、「赤い蛇」。
大きさは、とてつもなく大きく、1つの大陸ほどあったといいます。
それが、日本の本当の神様だった!?
それを祀る神殿が、「押戸石遺跡」らしいのです。
私は、押戸石遺跡は昔の人が巨石を置いてそこで地震を鎮める儀式の類いを気休め程度に、していた所なのかな?位に思っていましが…
武内一忠先生の話を動画で聞いてみると、私の想像を遥かに超えるスケールで…
ものすごい所だったので驚きました
まず、この巨石群の一番奥にある「頂上石」
これは、口を上にした蛇の頭の形をしているそうなのですが…(夏至の日の出の太陽をちょうど口で加える形になる)

蛇の胴体は、なんと石が置いてある山全体なのだそうです。
とぐろを巻いて山のような形になって鎮座している…
蛇の頭の部分にあたる頂上石は、コンパスを当てるとぐるぐる回って「磁気異常」を起こすそうです。
それは、「波動」が抜けているから…
そこは、地球の中心で、火山がドンドン爆発して「核融合」を起こしている。
その中の「同位元素」がマグマから上がって来て…
押戸石遺跡を抜けて、宇宙にドーンと突き抜ける…
宇宙と繋がった「宇宙意識」は、一気に電離層のように広がり一瞬で地球を回る…
この押戸石遺跡の磐座(いわくら)は、宇宙と繋がる場所。
何のこっちゃと訳がわからない話ですが…一万年前のラピュタ人たちはこのようにして宇宙と繋がる方法を知っていて巨石を世界中に置いて回った。
それは…
ムーの叡智。
ラピュタの人たちは、ムーの叡智を受け継ぐ人たちだった。
それを、使って地球のマグマを鎮めていたという…
なんだかスケールが大きすぎて私の脳ミソではとても理解出来ない話ですが…
押戸石遺跡行ってみたい!
行けば分かること、行かないとわからないことがあるはず!
なので…押戸石遺跡に行ってみようと思いました
でも…
一緒に行ってくれる人が誰もいない
スパンクは、「遠慮します」と、けんもほろろ…
都市伝説大好きな波動高軽の長男はお忙しそうで無理とのこと…
残るは次男ですが…
エビデンス小僧で、普段から私の言動をバカにしているので「無理に決まってるよね」と、スルーしようとすると…
おもむろに手帳を取り出し、「行けるよ」と信じられない一言。
(えーーーーーー!)
まじかっ!
都市伝説の総本山のような場所に、このエビデンス息子と二人で行くなんて…ムリっ!神様っ!!!
本当に人生は思いもよらないことの連続ですね…
どうなることやら…((゚□゚;))コワイ
続きます…