とても分かりにくい日本の古代史を…
〈行き〉縄文→海面上昇→ギョベクリ・テペ→メソポタミア
〈帰り〉メソポタミア→殷→倭国→大和→日本
…の順に分かりやすく振り返ってくれる…YOSHI SUN TVの動画をまとめてメモしてみました

↓YOSHI SUN TVのこの動画より
この動画は、情報量が多い上に進む速度がものすごく早いので、何度観ても内容が全然頭に入らず…
なので、勉強したいと思い、こういう形にして自分用の学習メモとしてまとめさせて頂きました
。もし、ダメだったらすぐに削除しますので教えてください

〈縄文時代前期(9000年位前)…〉
温暖化によって地球規模の海面上昇が起こり、日本の国土もほとんどが水没。
↓
よって、縄文の人々は住みやすい所を目指して移動を余儀なくされる。
↓
ほとんど住めない

↓

↓
縄文人は西へ西へと船?(宇宙船かも?)で移動(そして、ギョベクリ・テペへ)

↓
やがて年月が経ち…縄文人たちは、シュメール人としてギョベクリ・テペで生活?
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そして、海面が下がるにつれてギョベクリ・テペから低い土地へ移動し、メソポタミアへ移り住んだ。
そして、近くにはエラム人も住んでいた。

メソポタミア文明初期…
・シュメール人
・エラム人
は、同族同士として仲良くやっていた。
↓

でも、途中から仲が悪くなり、シュメール人がエラム人を攻め、政治権力を奪う。
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すると、シリア地方からアマ人がやって来て、シュメール人をやっつけてくれる。
アマ人は、メソポタミアを統治する。
↓
「ありがとう!アマ人!」恩義を感じる!? この恩は何千年後、日本で返すことに…

これにより、エラム人はシュメール人の統治から独立し、エラム王国を建国。
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そしてその後…
アマ人と
エラム人+
シュメール人は
殷経由で日本へやって来る(バビロニア王国に蹴散らされたから

)。
アマ人は日本の丹波国に渡って「海部(あまべ)氏」「物部(もののべ)氏」となり、
「大和王権」を建て…
エラム人は、阿波国に渡って「賀茂(かも)氏」「忌部(いんべ)氏」となり、
「倭国(わこく)」を建て…
〈なぜ仲良しと言えるのか?〉
「大和(ヤマト)」を「倭(ヤマト)」とも表記しているから。
大和と倭がごちゃごちゃ一緒に扱われている。
〈四支族プロフィールまとめ〉
「賀茂氏」「忌部氏」
・エラム国の古代都市「Awan(アワ)」の出身。エラム人の末裔。
・殷経由で北九州を経て、四国の阿波国を拠点とする。
・倭国(わこく)グループ。
「物部氏」「海人氏」
・メソポタミアの古代都市「Yamuto(ヤマト)」の近くに住んでいたアマ人の末裔
・殷経由で北九州を経て、丹波国を拠点とする。
・大和王権グループ

そして…
「物部(もののべ)氏」「海部(あまべ)氏」の天武天皇(大海人皇子・おおあまのみこ)がみんなをまとめ、国号を倭国、大和から「日本(ニッポ)」と定める。
なぜ、「ニッポ」?
「ニッポ」はアマ人が住んでいたメソポタミアの重要都市(最高神エンリルの神殿がある全民族最古級の聖地)「ニッポー」から「ニッポ」→「日本」という国名を付けた(古代の日本には「ハ行」と「ん」がなかったため「ニホン」とは言わない)

…というのが「日本」誕生までのお話らしいのですが…

TOLAND VLOGさんの動画では、
日本に出戻ってきた一族は…
・シュメール(王族)
・フェニキア(船担当)
・ケルト(用心棒、技術系担当)
の三支族であったと言われていました。
日本に出戻ってくるところだけ同じで、あとはYoshiさんの話とは全然違う…

Yoshiさんの動画によると、メソポタミアからやって来たのはエラム人とアマ人…シュメールはまるで付け足しのような感じ?
日本人の祖先はシュメール人?…ぐらいに思っていた私にとっては驚きでした…

だって、シュメールって、本当は、「スメル」と言って…
天皇を表す「スメラミコト」は、ここから来ているって言うじゃないですか?
でも、Yoshiさんによるとその考え(「シュメール人起源説」)にはいくつかの問題点があるそうで…
まず、第一にシュメール人は、自分たちのことを「スメル」とは言っていないのだそうです

これは、ちょっと衝撃でした

なんならシュメール人たちは、自分たちのことを頭が黒い者という意味の「ウンサンギガ」という全く聞き慣れない名前で呼んでいたのだそうで…
「スメル」とは、周りに住む多民族たちから呼ばれていた「あだ名」みたいなものだったのだそうです。
なので、もし日本人がシュメール人だったとしたら、自分たちの大切な王様…つまり天皇に自分たちが多民族から呼ばれていた「あだ名」をつけるというのは考えにくい…と、Yoshiさんは、言います。
…確かに
なので、日本人=シュメール人ではない…ということらしい。
なるほど~

でもそれなら、わざわざ自分たちの王様に自分たちとは関係のない
シュメール人を表す
「スメル」という名前を付けた、というのはどういうことなのかな?


ヘンダヨネ
その理由は、日本に既にいたアマ人やエラム人などの多くの民族たちにとって、シュメール人というものがどういう存在だったか…ということになってくるみたいで…
まず、日本にいっぱいいる多民族を1つにまとめるにはどうしたらいいか…
アマ人の
天武天皇(大
海人皇子)は考えた…

そして、出した結論が…
全民族が敬意を払い、知恵をもらっていた存在(なんなら全民族の祖でもある!?)…
「シュメール人」
の名の元にまとめるのがいいのでは?ということ。
アマ人である天武天皇(大海人皇子)は、
「じゃあ、手っ取り早くシュメール文化を使って日本にいる多民族を1つにまとめちゃえ!」
…と、合理的に考えた。
だからこそ…
日本の国号は、シュメール人の神である最高神エンリルが祀られている聖地「ニッポー」で…(シュメールの聖地は、全民族の聖地でもある。)
その日本を治める王様の名前は…
「スメラミコト」
…と、なるわけなのである。
なるほどね~
でも…
結局、Yoshiさんの話とTOLAND VLOGさんの話とが噛み合わない(日本にやって来た民族と経緯が違う)のはよく分かりませんが、恐らく色んな民族が様々な時期に様々な形でやって来た…ということで、こういう違いが出てくるのかも知れませんね。
真実はいっぱいある…ということで
