前回、私たちの周りに残る地名から、シュメールの痕跡を見つけてみよう…というブログを書きましたが…
今回は、「私自身の中にあるシュメールの痕跡」を探っていこう…と思いましたチョーナガイデス
キーワードは「キ」「ケ」ナニ?
以前も上記のブログに書きましたが、私は高校生の時、歴史好きの祖父と一緒にご先祖さまのルーツを調べた事がありました。
祖父が朝鮮新羅の都「慶州」まで行って調べたところによると(相当な道楽息子)、うちの先祖は新羅の豪族で、鉄を造るために日本に渡って来た「渡来人」だったのだそうです(紀元前200~500年)。
※正確には「帰化人」ですが、今回は「渡来人」で統一させて頂きました。
アニメ「もののけ姫」でも、たたら製鉄のエボシさまが容赦なく森林伐採をしていましたが、製鉄には高温の火を燃やすため、大量の木材が必要だったようで…
朝鮮にいたご先祖さまは、鉄を作るために必要な木を取り尽くしてしまったために、緑豊かな日本にやってきたようでした。
まず最初に訪れたのは、和歌山県の「紀の国」。
朝鮮から「紀の国」までの文献の記録がないため、北九州コースを回らずに直接和歌山に来た(祖父談。でも、北九州から船で来るのが一番近いような…)ようでした。
「紀の国」にハッキリとした目的を持って来てる?
なぜ「紀の国」に?
その謎を解くカギが、「紀の国」は、なぜ「紀の国」と言われているのか…ということにあるようです。
調べてみると「紀の国」は、昔は「木の国」と言って、その理由は「木がとても多いから」ということらしいのですが…
でも…
木が多いから…なんて理由なら、日本中どこでも当てはまります。
もっと他の理由があったのでは?と、思っていたら…
↓こんな文献が…
「紀の国は紀氏の国であり、古事記では紀氏は専ら木臣・木 角宿禰・紀 角宿禰(きのつののすくね)と表記されている。(宿禰は尊称)
「紀」氏の用字は国名としての「紀伊」が「木」に代わって用いられてから「木」→「紀伊」→「紀」と変化したのではなかろうか。」
↓こちらより引用させて頂きました
つまり、「木の国」と言われているのは、「木氏」が治めていた国だから「木の国」と言うのであって、「木が多いから」という単純な理由ではなかったらしいのです
おそらく、私のご先祖さまがわざわざ和歌山を目指してやってきた理由は、この「木氏」を頼ってやってきたのかも !?
…となると
この「木氏」って何者?(`・д・´)
という話になりますが…
この木氏…木角宿禰(きのつののすくね)とは、なんとあの正統竹内文書にも登場する武内宿禰の五男坊(親子なのに名字が違うのはなぜ?)で、カツラギノソツヒコのお兄ちゃんだった
(スターの登場で俄然高まる)
また、朝鮮外交に尽力した人物としても名を残しています(百済王をよく叱りつけて従わせていたという…ツエーカッケー)。
そして、なんと子孫にはあの著名な紀貫之も輩出している一族オーッ
そして、和歌山の地は、朝鮮半島を通って伝来する大陸文化の伝播地点にもなっていたそうで…( ; ゚Д゚)
そりゃ、そんな偉大な木角宿禰がいる地なら、大陸の人たちが大勢集まってきて、大陸文化の伝播地点にもなりますよね~
そして、紀の国、和歌山は、異国風な文化が混じり合う特殊な地帯となっていたようです。
つまり、大陸から大量の渡来人がなだれ込む場所だった!?
おそらく、武内宿禰の五男坊のツエー木角宿禰親分がいたからかな?
因みに、当時の西日本一帯の人口の実に九割が渡来人で占められていたというから驚き
…となると、
その渡来人たちの受け皿となっていた「木氏」も当然のごとく渡来人であった…ということになると思われます。(現に木氏の居住地内にある大谷古墳からは、大陸系の馬具が出土している。)
おそらく、大陸系の大勢の渡来人たちは、同じく渡来人である木角宿禰を頼って移住してきたのではないでしょうか?
そして、我がご先祖さまの一族も「木氏」が同じ渡来人であったから(元々知り合いだったのか、親戚だったのかも?)直接和歌山に来た…ということになるようです。
そして、なぜか同じ敷地内に住むほど超仲良しだった。
ご先祖さまが日本に来られた当時の日本はどんな感じだったのか…
祖父によると、色々な連合国に分かれていて、統一された国はなかったようで…
はじめはナガスネヒコ(大和国生駒郡鳥見地方に割拠した豪族。めちゃめちゃ強かった。)とニギハヤヒノミコト(天皇族の第一陣として大和にやって来た朝鮮ミマナ出身の高天原人。こちらもめちゃめちゃ強かった。)、カツラギノソツヒコ(武内宿禰の六男坊)らの連合国があって、これらを攻撃和合しながら統一していったのが崇神天皇(神武天皇と同一人物?)と言われているそうで…
我がご先祖さまは、そんなワチャワチャした感じの頃にやってきたようです(^o^;)
この崇神天皇と「木氏」も、とても仲が良かったようで…(ということは、崇神天皇も…?)
先ほどの地図を見ると分かるのですが、紀ノ川を挟んですぐお隣に本拠地を構えていました。
↓紀ノ川の下が崇神天皇の本拠地でココとあるのが、紀氏とご先祖さまの居住地
そして、崇神天皇は「木氏」の娘「遠津年魚眼々妙媛」という女性を妃に迎えています。
後に、この崇神天皇と媛の間に「豊城入彦命(トヨキイリヒコノミコト)」という子どもが生まれ…
この方と、ご先祖さまの娘が結婚することになります。
そして、この「豊城入彦命」の姑となったご先祖さまは、崇神天皇の命を受けて、一緒に関東制圧に旅立ったそうで…。
でも…
東京湾から千葉県葛飾郡に上陸して「関東の王だ!」と宣言しても、特に地元の豪族たちは相手にもせず、誰も知らんぷりで「ご自由にどうぞ…」という感じだったらしい…(^o^;)カワイソー
「まーまー、そんなこと言わずにみんなで仲良くやりましょうや」という感じだったのかな?
コダイユルー
…ということで、和歌山編はここまで
次回は、いよいよ千葉県北関東編となります。
分かりますか?