私の父親は、今年で97才になります。
毎日毎日、午前中は父親を散歩に連れて行くのが日課です
二人で一緒に歩いている姿を見かけた人はおそらく、「なんて親孝行な娘だろう」と、微笑ましく思われるかもしれませんが…
そんなことは決してありません
できるだけ歩かせて、心臓に負担を掛けさせ、少しでも弱って貰おうという算段なのです。
食事もご馳走しか食べないという特殊な人なので、1人だけ、なるべくウニとかイクラとかカニとかショートケーキなどを食べさせています。
毎日親にご馳走を食べさせて、なんて親孝行な娘なんでしょう…と、思われるかもしれませんが…
そんなことは決してありません
なるべく、カロリーが高く、味が濃い、甘くて砂糖と油と添加物にまみれた体に悪いものを食べさせて、少しでも弱らせようという算段です。
でも…
一向に結果が出ません…
それどころか、年々益々元気になっているような気がします。
このままだと、私よりも長生きするのでは…と、恐怖すら覚えます
元気過ぎます。
でも…
8年前に要介護5認定を受け、今日明日の命と宣告された時、医師に「脳の萎縮が見られ認知症がかなり進んでいる」と言われた事がありました。
医師が示したレントゲン写真には、確かに「認知症」の症状を表す「脳の萎縮」が見られます。
「えー、認知症なのか~」と、絶望したのですが…
父親に「認知症」らしき症状は、全く見られません。
むしろ、私よりも頭が冴えている…
でも、医師は、レントゲン写真を見て父親を「認知症」と決めつけ、薬まで処方し始めました(もちろん飲みませんが…)。
あれからずいぶん経つので、「脳の萎縮」は更に進んでいると思われますが、頭はいまだに冴え渡っています。
「戸締まりはちゃんとしたのか?」
「ゴミは出したのか?」
「夕べの味噌汁と同じものをまた朝も食べさせているのか?」
等々、うるさいうるさい…
謎です
「脳の萎縮」は、「認知症」とは関係ない!?のでしょうか?
じゃ、「脳が萎縮」しても「認知症」になる人とならない人の差って何なのでしょうか?
と、思って調べてみるとこんな話が…
101歳で亡くなったメアリーという修道女に関する貴重な研究があります。彼女は高齢になっても人々と交流し、子どもに算数を教えるなど活動的でした。その追跡調査を行っていた米ミネソタ州の研究者たちは、彼女の脳は若々しいに違いないと考えていました。しかし亡くなった後に解剖したところ、脳の萎縮がかなり進んだアルツハイマー型認知症であったことが判明したのです。
この事実は、認知症の病変があったとしても、認知機能の維持が可能であることを示しています。このとき、脳の中では何が起こっているのでしょうか。
(上の記事より抜粋させて頂きました)
このメアリー修道女のように、「脳の萎縮」が見られ、「認知症」の病変があったとしても「認知機能が衰えない」…という不思議な現象が実際にあるらしいのです
それは、なぜなのでしょうか?
カギは「神経回路」にあるらしい…
「神経回路」とは、産まれた時には全く繋がっていないのですが、様々な学習活動により1本また1本と複雑に繋がって絡みあって行く「情報伝達回路」で、これにより私たちは様々な物事を認知することができるらしいのです。
そして、どうやら「認知症」は、「脳の萎縮」とはあまり関係がなく、この「神経回路」がどれくらい生きているか否かがカギとなるらしいのです。
しかし、歳を取ると、この「神経回路」は、1本、また1本となくなってしまう…
情報を橋渡しするつり橋がどんどん切れて、何本残っているかがカギ?
でも、たとえ切れたとしても、沢山つり橋のある人は、他のつり橋を渡れば問題ないので、元々のつり橋がどれくらいあるかが「認知症」が発症するかどうかの分かれ目になるらしいのです。
沢山つり橋がある人とは…
即ち、沢山お勉強をしてきた人…ということみたいで…
つり橋…つまり、「神経回路」は、いっぱい知的活動をすることによって増えるらしい。
だから、メアリー修道女は、その知的活動により「神経回路」が健全であったから「脳が萎縮」しても「認知症」の症状が現れなかったのですね
うちの父親も若い時、お勉強ばかりしてきた人です。
だから、「神経回路」がいっぱいあるのか~
だから、元気なんですね
あー…
ロシアへの夢がまた遠のく…