小学校の図書館で働いていた頃、子どもたちがよく
「勉強なんて何でやらなきゃいけないのかわからないよ
生きて行くのに何も必要ないことばっかりじゃん!」
と、言っていました。
そんなときは決まって…
「あのね
脳ミソには神経回路という道がいっぱいあって、それがつながることによって人は考えたり覚えたりすることが出来るんだけど、
生まれた時にはまだどの道も通行止めで、お勉強することによって1つ1つ道が開通していくの。
そして、みんながムダだと思っている勉強…例えば、「てこの原理」とか、「球体の体積の求め方」とかあるけど、神経回路には
「てこの原理」でしか開通しない回路
とか
「球体の体積の求め方」でしか開通しない回路というのがあるのよ。
だから、
「あー、めんどくさい!どーせ生きて行くのに「てこの原理」なんて関係ないし。」と思って「てこの原理」を勉強しないでいると…
もう永遠にその回路はつながらないまま、死んだままになるわけ
だから、ムダだと思っている勉強は脳ミソの神経回路をつながらせるためにやってるんだから。
いっぱい色んな経験をして、いっぱい神経回路をつながらせないと脳ミソが死んだままになっちゃうんだよ!」
と、話していました。
全て、脳科学者茂木先生の受け売りですが…
なのでスピッツの「運命の人」の歌ではありませんが、
「よけいなことは~し過ぎる方がいいよ。脳の神経回路がつながるから~♪」
という感じでしょうか?
沢山お勉強をした人は神経回路が何本も繋がっているので、歳取って多少何本か回路が壊れて繋がらなくなったとしても、予備がいっぱいあるから大丈夫なんだそうです。
→つまり、ボケない。
ところが、全然勉強して来なかった人は…
神経回路が一本ダメになれば神経回路の予備が全然ないから、もう繋がらない。
→つまり、ボケてしまう。
ということらしいです。
この話を裏付けるかのように、勉強して来た私の父と、して来なかった母とでは差が歴然としています。
88才になる母親は最近モノ忘れが酷く、日に日に認知症が進んでいるような気がします。
母親は、勉強が大嫌いです。
考えることも嫌いで面倒なことは「わかんない!わかんない!」と、言って全て人に押し付けて来ました。
なので、神経回路がダメになると予備がないためすぐに「ボケ」てしまうのかもしれません。
逆に父親は勉強ばかりして来ました。
なので、95才になっても私より頭がハッキリしています。
認知症検査で「医師が言った何桁かの数字を逆から言う」というテストがありましたが、スラスラ言えて驚きました。(因みに私は言えませんでした)
勉強したことによって神経回路の予備がいっぱいあるから歳を取って何本か死んでも全く困らないようです。(羨ましい)
やっぱり、勉強大切…
でも、不思議なことが1つあります。
父親は、寝たきり時代に病院で
「脳の萎縮が見られ認知症が進んでいる。」
と、医師から言われました
でも、ボケてる様子はまるでないのです
おかしいな~と思っているとこんな話が…↓
101歳で亡くなったメアリーという修道女に関する貴重な研究があります。彼女は高齢になっても人々と交流し、子どもに算数を教えるなど活動的でした。その追跡調査を行っていた米ミネソタ州の研究者たちは、彼女の脳は若々しいに違いないと考えていました。しかし亡くなった後に解剖したところ、脳の萎縮がかなり進んだアルツハイマー型認知症であったことが判明したのです。
この事実は、認知症の病変があったとしても、認知機能の維持が可能であることを示しています。このとき、脳の中では何が起こっているのでしょうか。
(上の記事より抜粋させて頂きました)
この「メアリー修道女」のように知的活動により神経回路が健全であれば、脳の萎縮が見られ認知症の病変があったとしても認知症の症状は出ないのかも。
なので、うちの父親もメアリーさんと同じようにように脳が萎縮していても神経回路が健全だから認知症の症状が出ないのかもしれません。
脳の萎縮と認知症は関係ない!?ということでしょうか?
というわけでまたまたスピッツの「運命の人」
「よけいなことは~し過ぎる方がいいよ。脳の神経回路がつながっていれば多少脳が萎縮しても大丈夫だから~♪」(すごい字余り
)
なんにしても、10年後の自分のために勉強しなければ~
と、思って昔買ったこのドリルを引っ張り出して来ました。


