よく、「現実は、自分の意識が作り出す」と、言います…
なので、良きものを思い描くと良い現実となり、良くないものを思い描くと良くない現実になると…
でも、最近思うのは…
実際には、人はなぜか思い描いたものとは逆の道を歩んでいるな~と、いうこと。
なので、悪い未来を描くと良くなるのでは…と、さえ思ってしまう。
↓その事を書いた過去ブログ
金持ちになりたい…と、思うと貧乏になって
お金なんていらないと思うとお金持ちになったり…
生きたいと思うと、死ぬことになって…
死んでもいい、と思うとなぜか生き延びてしまう…
…という不思議な現象をよく目にします。
うちの父親も鬱体質で、いつも「早く死にたい。お父さんが一番早く死ぬ」と口癖のように言ってますが、なぜか誰よりも長生きしている…

「死にたい」と言ってる時点で今「生きている」という現実を創造しているから?
謎です。
そんなことを考えるようになったのは、ある一人の人物がきっかけでした。
誰よりも潔く死に場所を探して、生き急いだのに、誰よりも長生きして長寿を全うした人…
私の故郷は、会津なのですが、この方のことを思うと本当に胸が熱くなります。
「鳥羽・伏見の戦い」で敗れた新撰組は、再起を賭け会津に渡りますが、斎藤一は、そこで会津の人たちの真面目で誠実な生き方、人柄に深い感銘を受け、会津の為に忠義を尽くし、共に戦おうと決意したそうです。
恐らく、会津の人たちのことだから、傷ついて疲れはてた義士たちを誠心誠意もてなし、心を込めてお世話したと思われるので、その姿に斎藤は感激し、恩義を感じたのではないでしょうか…
それに引き換え、土方歳三をはじめとする大勢の新撰組隊士たちは、会津が危うくなると見るや平気で会津を見捨てて逃げ出して行く…
そんな中、斎藤一だけは「会津と共に死ぬ」と、最後まで一緒に戦い続けて下さったのだそうです。
でも、その戦いぶりは凄まじく…

目撃した人によると、一人で何十人もバッタバッタと切り殺し、あまりの壮絶な鬼気迫る光景に、味方の会津藩士もさすがに震えて固まり言葉も出なかったそうです。
斎藤一、この時なんと24歳!!





その勢いは、会津が降伏した後も止まらず…
会津藩主松平容保公の説得でようやく投降したそうです。
斎藤は、新政府軍に捕らえられた後、すっかり死ぬ覚悟が出来ていたのですが、なぜか免れ…
会津の名誉回復の為に、東京で警官となって働き、71才の天寿を全うしたそうです。
正に、「会津のために生きた」と言っても過言ではないような人生。
ここで、注目したいのが、斎藤一と土方歳三という二人の隊士の生き方…
「生きたい」と思って函館へ逃げた土方と、「死のう」と思って会津に残った斎藤。
結果、「生きたい」と思った土方が亡くなり…
「死のう」と思った斎藤が生き延びる…という数奇な運命…。
土方歳三ファンの方には申し訳ないのですが、会津人からすると土方は、派手で目立つ所にばかり行きたがるただの「お祭り男」で、人への恩義や忠義を重んじる斎藤とは一線を画します。
会津が、危ういと見ると「命惜しさ」にケツを捲って逃げ出す土方に対して、「会津と共に死のう」と腰を据える斎藤。
結果は、二人が各々思い描いたものとは全く違うものとなりました。
人生って不思議なものだな~と、この二人の生き方を思う度につくづく考えてしまいます。