毎週観ているNHK『鎌倉殿の13人』。
北条を束ねる宗時を失い、戦にも敗れ、ボロボロの頼朝源氏軍数名の武士たち…
しかし、失意のどん底の中、立ち直り、房総半島を北上しながら、百、千、万と仲間を増やして怒涛の快進撃が始まります
楽しみです!
ところで…
鎌倉武士というのはものすごく強かったらしいです
そのあまりの強さから、鎌倉以降、
「鎌倉武士みたいですね~
」
というのが武士に対する最上の誉め言葉だったらしい…(↑むすび大学 小名木善行先生のYouTubeより)
その強さをまざまざと見せつけたのが、有名なあの戦い…
「元寇」
(鎌倉時代中期にモンゴル帝国・高麗によって二度に渡り行われた(文永の役・弘安の役)対日本侵攻。)
日本の大ピンチ
ここで鎌倉武士が頑張ってくれなかったら日本は今頃中国になっていたかもしれない !?
モンゴル総員3万2000に対して日本軍わずか5000!
とっても無理~
でも、鎌倉武士は強かった!
恐るべし鎌倉武士
「見てきたんですか~?」と、突っ込みを入れたくなるような話っぷりの「株式会社いつかやる」のYouTube動画「元寇の戦い」。
手に汗握る実況中継が聞けます↓
面白かった




命知らずの鎌倉武士!
止まらない、止まらない!
「どうやったら止まるの? こいつら…」
困惑し、終始押されまくる元軍。
敵殺して首を取ってなんぼの鎌倉武士
「はぁっ? 首だろ? 首!
こちとら鎌倉武士だぞっ!」
と、首首人間!?の鎌倉集団が雨あられのように降り注ぐ元軍の弓矢をものともせず、バカみたいに襲いかかる!
命知らずなのにもほどがある~
へなちょこ元軍は、弓矢もへなちょこで質より量の「数打ちゃ当たる」いい加減戦法でしたが、対する日本軍は、一矢一矢が高性能の芸術品で、射程も長く威力も凄まじい。
加えてその矢の引手は正確なプロの凄腕スナイパー
次々に、遥か向こうに陣取る大将クラスの軍人を仕留めていく
そして、遂には元軍は崩れて敗走撤退!
武士が力で元軍を押しまくった!
日本軍の敢闘勝利
仕上げは、暴風の「神風」で追い払い、きれいさっぱり塩をまく!
「おとといきやがれっ!」
そして、2度目の侵攻…
弘安の役(1281年6月)
諦めないフビライが再び日本に…
前回とは比べ物にならない規模の艦隊を率いてやって来た!
モンゴル総員14万に軍船4400艘!
前回の3倍以上の兵力!
日本侵攻を進める元軍でしたが、創意工夫を凝らした日本軍の鉄壁な守りになす術もなく…
やむなく志賀島(しかのしま)に上陸した元軍でしたが、それを見過ごすほど鎌倉武士は優しくないっ!大人しくないっ!
すぐさま夜討ちをかけ奇襲し、敵軍に火を放つ!
もー、やりたい放題
大艦隊に襲いかかる武士たち。
恐怖心がイカれてる
凄まじいっ!
昼から夜明けまで攻撃し続ける!
執拗な日本軍の攻撃により、元艦隊の士気が下がり、そこでまた「神風」に遭ってしまう。
この「神風(台風)」で元軍が大ダメージを受ける
そして、そのチャンスを逃すまいと日本軍の最後の総攻撃が始まる!
小舟で乗り付け敵船に乗り込み次々敵を切りつけていく。
元軍は次第に敗勢に追い込まれ、遂に壊滅!
またしても日本軍は勝利をおさめることになる
でも、武士たちは強いだけじゃなかった…
戦後、武士たちは、上陸した元の残党が地元民家に乱暴狼藉の悪行の限りを尽くして、その連中を捕らえるのに四苦八苦したそうですが、捕らえて首をはねた後もちゃんと「首塚」をつくって供養し、未だにお祀りしているというから、その誠実さと精神性の高さに驚きです。
片や元軍は、壱岐島で捕らえ大虐殺した日本人の足首を切り落とし、死体を船の側腹に釘で打ち付け、くくりつけたといいます(血抜き後、干し肉にして食べるため)。←むすび大学YouTubeより
この民族性の違いに愕然としてしまいます。
強いだけではなく、誇り高く優しい武士たちの生き方に感動してしまいました