連日エリザベス女王のニュースが報道されていますが。
その時、その数日後に義母が亡くなるとは思っていませんでした。
ほぼ自分用振り返り。
火曜日まで普通に過ごしていました。
水曜日、義父曰く、朝ご飯の量が少ないと感じ、デイサービスでも食が進まず、嘔吐したので早退。
胃腸炎っぽく、病院にかかるのもリスク(認知症の人には精神的にも肉体的にも疲れる。体力落ちてるとむしろもらっちゃう)なので、在宅にて経過観察。
木曜日もあまり食べられず、金曜日は義姉が来て病院に連れて行ってくれ、レントゲンや血液検査もしたようですが、さしたる異常値もなく、点滴をしましが、点滴で症状は改善しませんでした。
だるそうに横になってウトウトする事が多かったですが、自力で室内は動き回っていました。
土曜日は朝から断続的に嘔吐があり、付き添っていたのですが、昼になって落ち着いたので、私たちが二階に引き上げるとまた嘔吐再開。
夜も当番医にかかったのですが、何故か外出すると気分が上がったのか水分も取るし、嘔吐も止まり、病院内を歩き回る。点滴はしたけど、入院適用には到底至らず。
母の認知症は、他人や家族複数でいて、会話の中にいれば落ち着くけれど、義父と二人になり、叱られたり黙り込まれたりすると不安定になるのが感じられていたので、私たちは
「コレは精神的な問題も影響してるのでは?」
と、とも思っていました。
義父はマメな方で日々の家事はきちんとしていて、私の介入する余地はありませんでしたが、着替えや風呂など、声はかけるけど、寄り添う感じではなく「認知症だから叱ってもしょうがない」事を激昂して叱り、義母は反発し、家を抜け出して徘徊するのリピ。
身体的虐待ではないけど、精神的虐待傾向にありました。
昨年夏までは近所からの通報、警察の保護もあり、一度は施設も探したけど、義父が「俺の目が黒いうちは俺が見る」と激昂したので、鍵を付け替えたり、デイサービスやショートを増やして対応して来ましたが、とうとう再度闘う時が来たのかとオットと話し合いました。
日曜日、午前中はだるそうでしたが嘔吐なし。私は出かける予定がありましたが、ムスコムスメにアルバイト代を払い、義両親の部屋で宿題やテレビを見てもらったところ、人が多いのが好きな義母は落ち着いてリビングで過ごせました。
少量ではあるけど水分やエンシュアは少しずつ取れていましたので、月曜日再診する事にして休みました。
寝る前に訪問して、洗濯が追いついてなかったから私のパジャマを着せて私は21時。
手を動かしてブツブツ言っていましたが、認知症になってからいつも独り言は多かったから、特に異変とは思いませんでした。
胃腸炎では嘔吐後は少量の水分補給が必須で、介護勤務のお友達に「氷はいいよ」と言われ、氷を与えたり、オットがOS-1を凍らせる製氷皿を探しにスーパーへ行き、様子を見に行ったのが22時過ぎ。
その直前に少量嘔吐し、義父が叱っていた様でした。
その様子を見て、体調不良ももう5日続いているし、一旦義父から距離を取って体調を回復させる為に、明日朝一でオットがもう一度受診させて、入院を打診してみよう。
そうして23時過ぎに私たちは休みました。
それが多分生きている母との最後。