キミよ知るや南の島 ③田中一村記念美術館 | ariさんは遊んでばっか

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面倒くさいと思いつつ、好奇心は旺盛。
好きなこといっぱい、楽しいこと大好き。

1.プロローグ -憧れの田中一村記念美術館―

イラストレーターの友人からたまたま借りた一冊の画集。

それを見てしまって以来
かれこれ20年近く頭を離れなかったのが
画家、田中一村である。

彼が描いた線の一つ一つに
たとえようもない鬼気迫るなにかが宿っているように感じられ
彼の目に映った世界をいつかこの目で確かめたいとずっと思い続けていた。

だから今回の奄美行きには格別な想いがあった。
奄美は彼が数々の素晴らしい作品を未発表のまま書き残し
終焉を迎えた地なのだった。

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平成13年9月にオープンした田中一村記念美術館は、
奄美空港前の通りを2キロほど名瀬方向に進んだところにある
付帯設備の「奄美の郷」とともに、「奄美パーク」の中に建てられている。

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        珊瑚石が使われている。

2.一村が世に知られるまで

田中一村は1908年(明治41年)に栃木県で生まれた。
幼少の頃から画才を発揮し、若くして南画家として知られた。
18歳、東京美術学校(現在の東京芸大)に入学したが2か月で中退。
以後、中央画壇と一線を画し東京、千葉を経て50歳を過ぎて一人奄美へ移住。
紬工場で染色工として働きながら、
亜熱帯の鳥や自然を描き、日本画の新境地を開いたが
作品を発表することなく1977年、ひっそりと69歳の生涯を閉じた。

※南画:中国画の2大流派、北宗画・南宗画の一つ、南宗画のこと。柔らかい描線を用い、主観的写実による山水画を特色とする。日本では江戸時代にこれを学び、南画として独自の展開を遂げ、盛んになった。

以下、「アダンの画帖 田中一村伝」(南日本新聞社編 1995)より抜書き

一村の死と画業は、同年(昭和54年)3月13日付け南日本新聞の地方面トップ記事で初めて活字となった。

【大島】名瀬市有屋で奄美大島の植物や鳥類を二十年間も描き続けていた画家が、二年前人知れず異郷の地で69歳の生涯を閉じた。画壇から遠く離れ、孤独の人であったためその画業も知られず埋もれようとしているが、恵まれぬ生活の中で絵筆ひと筋に打ち込んでいた晩年を知る数少ない知人たちは、今年9月の三回忌に「是非遺作展を・・・」と話し合っている。

こんな書き出しで、一村の簡単な生涯と遺作展の計画を紹介した。…略
まもなく名瀬市に遺作展実行委員会が発足した。当時同市教育委員会委員長だった宮山清氏を委員長に、有志が集まり、浄財を出し合った。市は会場に名瀬市中央公民館を提供、多くの市民が手弁当で準備作業に加わった。…略 遺作展は昭和54年11月30日から3日間名瀬市中央公民館の2階ホールで開かれた。一村の奄美での画業の初公開であった。…略 用意したパンフレット千部は初日でなくなり、三日間で三千人を超える市民が会場に詰めかけた。生前の一村に触れたことのある市民たちは、「あの人がこんなすごい絵をかいていたのか」と、陋屋暮らしの一村と作品のイメージのギャップに驚いた。会場に展示された一村の手紙とパンフレットで、その生涯を知るにつれて感動は深まった。人口5万の地方都市は一村ブームで湧いた。
波紋は静かに広がっていった。翌年、当時NHK鹿児島放送局に在任していた松元邦暉ディレクターが、奄美の海を採録する仕事で名瀬市を訪れた際、一村の画集に出会った。取材先の家で見た1枚のデッサンが気にかかり、たずねたのがきっかけだった。前年、名瀬市で遺作展があったことを知り、取材にとりかかった。そしてまず、「話題の窓」(15分)で「幻の放浪画家ー田中一村」を鹿児島放送局から放映。次いで秋に「九州80」(30分)で九州全域に紹介して反響を呼び、昭和59年12月16日のNHK教育テレビの「日曜美術館」の「美と風土」シリーズで、「黒潮の画譜ー異端の画家・田中一村」と題して、全国に紹介した。反響は大きく、翌年1月16日には異例の再放送が、夜のアンコールアワーで行われ、関心を集めた。



こういった経緯を経て、彼が亡くなって数年ののち、
テレビ番組によって、初めて人々に知られることとなった画家、田中一村の画業とその人生。

上記の「アダンの画帖」の抜書きにもあるように、NHKの「日曜美術館」で広く知られるようになった一村だが、「田中一村 豊饒の奄美」(大矢鞆音著 2004)によれば、この番組が順調に放送されたのかというと、そうではなかったらしい。

「それは、今まで一本も美術番組を制作したことのない地方局のディレクターの企画であったこと。取り上げた画家が世にまったく知られていない無名の画家であったこと。専門家すじの評価を受けたこともなく、さらに言えば見たこともない独特の作風が、美術作品としてどうなのかということで」
東京に提出された企画書は、3年間眠ったままだったそうだ。

その後、担当プロデューサーになった小河原正己さんが「これは面白い番組になる」と取り上げたのが直接のきっかけだったが、それでも企画を通すまでにはさらに1年以上かかったという。

しかし、放送後の反響はすさまじく、一般視聴者の問い合わせは驚くべき数となったとのことだが、その一方で美術専門家からの反応は皆無であったそうだ。
また、美術情報誌を出している美術商からも
「一村の作品は美術ではなく、イラストでありデザインだ。『日曜美術館』で紹介するような作品ではないのに、なぜとりあげたのか」「この作品を取り上げた美術的な根拠と、専門的な評価を示せ」「画家の生き方と作品性とは別物である。『日曜美術館』は画家の生き方を紹介する番組なのか。商業主義と結びついた何かがあるのではないか」という激しい抗議が寄せられた、と、この本にある。

ariはいつも思うのだ。美術にしろ、音楽にしろ、それを受け取る相手が専門家だろうとなかろうと、
芸術を感じるために他人のお墨付きなんて必要があるのだろうかと。

もちろん、知識が高く耳や目の肥えた人には芸術性を受け取る深さは深いだろう。
しかし、感じるのは心だ。個々が持つ裸の心に響くのかどうかが大事なのであって
これはこうだからすごいからいいものなんだ、なんていう小難しい理屈なんて
感性にとって重要なことではない。どんなにすごい技法だのが散りばめられた作品であっても、肝心な心に届かなければ意味がないと思うのだ。

だから、こと芸術に関していえば、素人であっても臆することなく「好きだ」「素晴らしい作品だ」と感じるままに言い放っても何の問題もないと自分は思っている。それを見て専門家が愚かしいと笑ったとしても、それは知識というよりも、単なる感性の違いであり、好き嫌いの問題であり、芸術そのものの根源的存在理由もそれなんだと思う。
たまに美術館に行って、なんだかさっぱりわからない作品を見せられることがある。却ってよく分からないような作品を称して「芸術的だ」なんて言ったりもするが、その「よくわからない感情」が人の心に何かを訴えかけたとしたら
確かにそれは芸術と呼んで構わないのではないだろうかと思うが

何も訴えるものがなければ、どんなに偉い人が仰々しいお墨付きを与えた作品であったとしても
それを受け取ったものにとっては、ただのわけのわからない物体でしかない。

・・・・・えらく脱線してしまった。

まあ、仮に彼の絵がイラストだったとして、過去にはイラストが美術ではないと考えられていたのだろうかと「豊饒の奄美」を読んで少し驚いてしまった。もし、大御所や著名人が彼を評価していたら、美術商もきっと手のひらを返したような反応だったのではないだろうか。

そして確かに自分は不遇に見える彼の人生にも心を動かされたが、
だからといってそれを理由に彼の作品を見咎めたわけではない。
特に彼が奄美時代に描いた作品から漂う、亜熱帯の粘りつくような湿度の高さや描線の気迫、一切の妥協のなさのようなものがあまりに鮮烈に心に響いたのである。
だから原画を見てみたかったのだ。

「いま私が、この南の島へ来ているのは、歓呼の声に送られてきているのでもなければ、人生修行や絵の勉強にきているのでもありません。私の絵かきとしての、生涯の最後を飾る絵をかくためにきていることが、はっきりしました。」(昭和34年3月、田中一村の知人宛て手紙より)
「孤高・異端の日本画家 田中一村の世界」(NHK出版 1995)より引用

幼少の頃から非凡な才能を見いだされながら、
生前に発表された作品の多くは中央画壇から思うような評価を得られず
孤独なまま逝った彼の画家人生はひどく険しいものだったに違いない。

しかし奄美に移り住んで以来、彼にとって描くことは、もしかすると自分が何者であるかを確認するための、誇りに満ちた作業だったのではなかったろうか。

3.終焉の地、有屋を訪ねる

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写真にある小さな木造家屋は、彼が「御殿」と呼んだ終焉の家(借家)である。しかしこの御殿に住めたのはわずか11日間。夕食の支度をしている最中に心不全で倒れて亡くなり、翌朝になって近所の人に発見された。

家主の戸田さんのご厚意により、今日までこの家屋は取り壊されずに保存されているが、場所そのものは平成5年に有屋橋のたもとの市有地に移転されて今日に至っている。
さぞかし奄美の有名な観光スポットになっているだろうと思いきや、この場所を訪れる際の道すがらに分かりやすい看板があったような記憶はあまりなく、近所でお見かけした方にお聞きして、探し探しようやく辿りついたような有様だった。家屋の保存状態も写真を見て分かるように、雨ざらしで荒れ放題といった様相。板壁に大きな穴が開いていたので、一村氏には失礼だと思いつつ、その穴から中の様子を撮らせて頂いたのが5枚目の写真である。

しかし、だからといって奄美の方々が一村を粗末に扱っておられたとは全く思わない。むしろその存在を特別なものとして壁を隔てて遠巻きに伺うのではなく、身近な近隣住人の一人として、友人として、仲間として、親しみを込めて今も見守っていることが、この地に立って見て伝わってきた気がした。

4.一村が見た奄美の自然

さて。

彼の絵画は抽象画ではなく、植物、鳥、昆虫、魚、人の暮らす風景といったものがモチーフとなっている。69年間の彼の人生の中で、作風も変遷しているが、彼が最終的に行きついた真骨頂はやはり、このブログにある美術館パンフレットでも取り上げられた「クワズイモとソテツ」に代表される奄美時代の作品であろう。

彼は
「それは2尺5寸巾丈5尺2寸の大物で、一枚半年近くかかった大作二枚です。これは一枚百万円でも売れません。これは私の命を削った絵で閻魔大王えの土産品なのでございますから」(昭和49年、世田谷K氏宛ての手紙より 記載のまま)「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい田中一村 生涯と作品」(大矢鞆音著 2010)より

という書簡を知人宛てに送っているが、この閻魔大王に献上すると本人が述べた絵とは、この「クワズイモとソテツ」及び「アダンの海辺の図(旧仮題 アダンの木)」を指すと言われている。

自分は南画はあまり好きではないが、彼が千葉時代に描いた数少ない入選作品である「白い花」や、「ニンドウにオナガ」、そして同時期に描かれた数々の襖絵などは大好きだ。しかしそれ以上に、画面全体にむせ返るような暑さと、陰残なまでに表情を抑えた平塗の画面が却って強い衝撃を与える奄美時代の作品が大好きである。

生前の彼もきっと見たに違いない、そんな奄美の風景をいくつかご紹介したい。

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 左からソテツ、クワズイモ、ビロウ。一村の絵に繰り返し登場するモチーフである。

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 アダンと海。まさに「アダンの海辺の図(旧仮題 アダンの木)」の世界だ。

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 形は違うが、こうした波間にぽつんと突き出た岩が作品のいくつかにも描かれている。
 
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 アダンの実。時期が2月なので実はまだ硬く青い。

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 サクラツツジ。2月のこの時期に見頃を迎える。

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 オオタニワタリ。彼の作品に「サクラツツジとオオタニワタリ」というのがある。

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 パパイヤ。「パパイア」という作品の他、いくつかの作品で描かれている。

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 ヒカゲヘゴ。実に亜熱帯っぽい風情で巨大。迫力満点。

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 ハマユウ。時期が悪くて元気なし。花もなくて残念。

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 リュウキュウアサギマダラ。でも実際に一村が描いたチョウは近似種のアサギマダラの方。写真を撮り損ねたのでこちらを載せた。
この蝶についてはまた次回の生き物編で書こうと思うが、さあて、いつになることやら。

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 どうみてもポインセチアなんだけど・・・違うかしら???あせる

この他、彼の絵によく登場するクロトンも随所で見かけたが、残念ながら写真を撮り損ねた。

以上、ariが憧れ続けた田中一村の世界について、駆け足で書かせて頂きました。
専門家の方に万一覗かれでもしたら冷や汗ものの記事ですが、間違いや思い違いなどがあったらご指摘頂ければ幸いです。

とはいえ、個人的な都合により月末から来月までしばらくブログアップが出来ないので、せっかくコメントを頂いてもお返しするのが遅くなることをどうかお許しくださいませ。


長々とお読み下さった忍耐強いアナタ、誠に有難うございました!!

なお、彼の作品画像はあえてブログに貼ることを控えさせて頂きました。
以下のURLにいろいろな画像が収集されているようなので、
もしよろしければ、そちらをご覧ください。

・・・といっても、原画ほどの魅力は・・・残念ながら。にひひ

http://www.google.co.jp/search?q=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E4%B8%80%E6%9D%91&hl=ja&rlz=1T4FTJB_jaJP460JP463&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=LfhLUbKkEIn5kgWduYHwBg&ved=0CEIQsAQ&biw=1603&bih=906

ああ。やっとホッとした。図書館に資料返して来よっと。


音譜