「ごめんね」と「ありがとう」のせみらくん | ariさんは遊んでばっか

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面倒くさいと思いつつ、好奇心は旺盛。
好きなこといっぱい、楽しいこと大好き。

Eテレで
夕方6時から放送されている10分アニメ。

「おじゃる丸」


へいあんちょうから時空を超えてやって来たおじゃる丸は、
わがままで怠け者で利己的でプライドが高い
ちょっと憎たらしい、でも憎めない子どもだ。

子ども番組だが、彼は決して子どもたちのお手本になるような
いわゆる良い子ではない。

むしろ、
「こういうことしちゃ、ダメだよね」と
見ている子どもに気づかせるような反面キャラである。

しかし、彼を取り巻く人たち、
たとえばお兄ちゃん役のかずまくんだったり
かずまくんの家族だったり、友達だったり
月光町に住むいろいろな人達だったり

みんなが我儘なおじゃる丸を温かい目で見守っている。


でも、世の中というのはもちろん

いろいろな変わったことをする人や
自分とは違った立場や考えの人もいるわけで

そういうことも含め、
このアニメでは毎回、多彩なキャラが行き交う。


説明しだすとかなり長くなるのでこの辺にするが

10分の中でのストーリー展開は毎度

「え?これがオチ?全然オチてないんだけど・・・」あせる

みたいな消化不良感が残る。

が、それがかえってこのアニメの持ち味であり、リズム感であり
面白さなんだろうとariは思っている。



この10分アニメの拡大版映画

「おじゃる丸 約束の夏 おじゃるとせみら」


何回かテレビでも再放送されている映画だが
昨日もたまたまBSプレミアムで放送されたので
見ていた。

以前偶然に最後の最後だけ見て
それでもとてもariの心に残ったお話だった。

初めてほぼ全部見た。




泣いた。

ボロ泣き。    しょぼん
      


「夏」と「せみら」のキーワードで
およそのラストシーンの見当はつくだろう。

それは本当に大体見当通りの方向性でラストを迎えるのだが

夏の終わりとともに
木に止まっていたセミたちがゆっくりと肩を寄せ合いながら
スローモーションで落ちて行く命の悲しさ。

そしてなにより、せみら君が
怒って口をきいてくれなくなったおじゃる丸に言った

悲しげな

「おじゃ丸、ごめんら」「ありがとら」「明日もまた遊ぼうら」


これを見ていない人には
何のことかさっぱり、という話なのだが

ariにしてみれば、ケンシロウよろしく
涙の「ヒコウ」を突かれたような。   にひひ

せみら君の言葉はお子様だったおじゃる丸の心に取り込まれ
やがて同じ心として共振を始める。

おじゃる丸がひとつ大人になった瞬間である。


「ごめんね」と「ありがとう」は
どちらも人として生きていくためにきっと一番大切な言葉で


この二つの気持ちが素直に混ざり合うと
本当に心を打つ、涙を誘う言葉になるんじゃないか、なんて


過去に自分が号泣した映画やドラマを心に浮かべながら

思ったりしたariである。



単に、ariの涙のツボがそこっていう
それだけの話。   あせる



人によって感性は様々。




ariがいいと信じて疑わないものも
すべての人がいいと思うわけではなく

「おじゃる丸」一つをとっても賛否両論、評価はいろいろ。


でも、誰が何と言おうと
ariはこの「約束の夏 おじゃるとせみら」の話が
やっぱり好きである。

このお話を作ってくれてありがとう。





さてと・・・・。



今日は荒れた空模様の一日だった。


それでも、

もう二度と戻らない今日という時間に手を振って

「ありがとう」の言葉で

穏やかに閉めよう。音譜