こんにちは、Salaiです。
ちょっと長くなりますが、ボイジャーを使った才能開花セッションについて、書きます。
🍀🍀🍀
年が明けて数日後、「お台所に立つのが嫌!」と思っている自分に気づいた。
だって考えてみたら、夫と同じように働き、家に食費を入れているのに、何故私だけがこんなに家族の食事のために時間と体力と頭を使っているのか。
「常識はこうだから」「他人はどう思うだろう」「よくやってると思われないと」という、自分以外の正体不明のものに自分を委ねてきた来し方の私を振り返って、ほとほと嫌気がさした。
さらに書くなら、来し方の私自身を労うとか褒めるとかする以前に、できることなら全てなかったことにしたい位、自分自身を主軸に据えてこなかった過去の私に、腹を立てていた。
で、ほんの数日前、夫に話した。
コンサバな家庭に育った夫は嫌がるかな、とは思った。
反論されるかな、とも思った。
それならそれで、対応策を見つければ良いかと思っていた。
「お台所をするのが、嫌になったのよね。あなたと同じように働いているのに、どうして私だけが家事をしているのかと思ったの。これからは、作りたい時しか作らないことにするわ。」
返ってきた答えは、私の想像を超えたものだった。
「そうだよね。よく頑張ってると思ってたんだよね。」
そしてひと呼吸置いて、
「料理が好きなんだと思ってた。」
は?はは?ええーっ?えええ?(声にならない悲鳴)
びっくりして、ようやく我に返って、冷静になってから、「なら言ってよ!」と心の中で思ったけれど、とりあえず、今後の生活パターンに関するコンセンサス決定、ということだけは認識できた。
料理を作るのは好き。私がつくったものを家族と美味しく食べる場をつくることも好き。だけど、「ねばならない」感でお台所に立つのは止める。
私は、私がやりたいと思うときだけ料理を作る。そもそも、それ以外の理由で台所に立つなんて、Kitchen Godに失礼だしね。
あ、ここで言うKitchen Godは、日本風に言えば「おくどはん」。私なりの解釈は、「家族を想う純粋な気持ちで台所に立つ人に、力を貸してくれる神様」のことです。
お料理を作るなら、純粋な気持ちで作りたいから、神様が浮かんだのだと思う。
うちの家族は皆、自分の面倒を見ることができる大人。だから、それぞれ自己管理はできる。自分信じる健康法もある。だから必要以上のことはしない。
現実にはいろいろあるだろうけれど、調整しつつ、私が一番楽で、一番混ざりけのない気持ちでいられる生活様式で行くことに決めた。
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ここまでお読みいただいた方はお気づきだと思いますが、その昔、私の自己肯定感はとても低かった。
「ただここにいる」ことができず、いつも何かやることを探して動き回っている、というのが、私の典型的行動パターンだった。
だから、「落ち着きのない人」だと思われていたと思う。
「何かやってこそ、だれかの役に立ってこそ、私はここに存在しないしていることを許される」、そんな思考に支配されていた。
だから、「何もしていないけど、私はここに居て良いですか?」などと、大真面目に聞いたことがあった。
聞かれた相手は、めちゃくちゃ面喰らったろうなと、今ならわかる。
🍀🍀🍀
こんなに長々と、プライベートなことを書いてきたのは、「才能開花セッション」について書きたかったから。
灯台屋さんでのボイジャータロット・メニューの一つとして、「才能開花セッション」を提供させていただこうと思っている。
才能開花セッションのことについて書こうとした時、自己肯定感にまつわるあれこれが浮かんだのは、きっと関連があってのことなのだろう。
低め設定の自己肯定感は、長らく私を私らしくあらせてくれなかったけれど、おそらく、それも必要な学びだったのだと思う。
私を覆っていた余計なものを一枚ずつ剥がして、その都度、生きることの仕切り直しをしてきた。
余計なものを剥がしていったら、他人軸に自分を預けていることのアホらしさに気づけた。
そういえば私は長らく、「自分は無価値、あれもこれも人より劣っている、だから私なんて存在を消している方が良い」とどこかで思っていたなあ。
今となっては、他人事のよう。
そんな過程を経てきた私の「才能開花セッション」。
他人と比べてどうこうではなく、自分を心から大事に想い、自分で自分の生き方を決める。
クライアントさんが十二分に自分の人生を生きられるように、お手伝いをさせていただきたいと思っています。