変化か死かの選択とアイデンティティー | にくじるのブログ

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今だにどこに日記を書こうか悩みながら何も考えてない人のブログ。
にわかにディープなのでスルー推奨。

ドイツでの週末はベルリンへ移動。天気がまた悪くなり、酷い雨女っぷりに感心せずにいられません。
大きな街はどこもそこでのペルソナがあり、普通の街で普通に過ごすのはとても楽で今週はかなりリラックスしました。今日までいた街はドイツでも言われてるほど物価が高いとは思わなくて、東京で買い物したりご飯を食べるより少し安い気さえします。

国外のオフィスツアーと言っても、技術部署なので、マネジメントはともかく、仕事では移民のアジア人ばかりです。どこの国の企業をみても、創立者は別として、ハイテク産業の中で技術を支えるのはアジアンの移民、モノ売りは白人が多いです。そうなると、原住民の白人がお金がないなんてことは当たり前になりつつある。そりゃ、人種差別がおこるのも納得です。

そんな様子を見てると、そう遠くない将来、日本でも安全で住みやすい場所に住むためには、激優秀で日本語と英語と母国語をつかいこなす天才アジア人と肩を並べて教育を受け、仕事をしていかなきゃならないように思うし、多くの日本人がプアホワイトと同じように、「奪われた」と感じるだろうなと思います。そして、他国人を差別しようにも比較的外圧に弱く、泣き寝入り上等の日本人が多い日本は、10年後にはまったく違う国になりそうな予感がします。

そんな時代に何を持ってアイデンティティーとするのか。
自分だけの人生をどう生きるのかの選択肢を周りと同じ「自分」ではなくて、個々がもっていないと、これからの時代、幸福感が得られない人になってしまうんじゃないかなと思ってます。
お金があっても幸せとは限らないけれど、人間は安定をもとめるから、お金がある人のほうが幸せと感じる人比率は高いはず。でも、お金のために、他人の価値観の中で生きるなんてつまらない。
目標のために地道な努力を続けるという意味の忍耐はとても意味があると思うけれど、言われたまま、なにかを護るために嫌なことをひたすら耐えるのはモチベーションの維持が困難だろうと思うんです。

世界が変わりつつある中で、ある訃報をうけて、生きることの意味と幸福感について改めて考え、最も心を壊したりする人が多い仕事を直視し、「そんなに献身的でいて、会社がお前を必要としなくなったらどうするの?」と昨晩聞いてきたジャーマンを思い浮かべながらバス渋滞の中、書いています。

「情熱的な恋でも、終わるときはある。誰のせいにもしないし、過ごした時間を後悔しない。笑顔でお別れして次を見つける。対象が恋でも、家族でも、会社でも違いはない、ネットワークと同じでベストエフォート型だ」と答えたら、とっても納得してない顔をしてた。恋や仕事で死ぬタイプなんじゃないかと心配になる。

死んだらゲームオーバーだからね。自然が好きとか言ってるやつはたまに飲まれるから危ない。生まれたら死ぬのが当たり前だから、態々死なないようにするしかないけれど、ともかく、死んじゃった人には

R.I.P