夢の途中 | にくじるのブログ

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今だにどこに日記を書こうか悩みながら何も考えてない人のブログ。
にわかにディープなのでスルー推奨。

てっぺいちゃん(石井竜也)が米米CLUBの頃から好きで、全てのアルバムとDVDもLDと呼ばれる巨大なフリスビーな時代から集めていた程ファンだったりします。

 

画面の向こうにしか絶対いないシャレオツな感じがする割に、一つ一つの話や曲がとてもリアルなところに落ちるので、超現実主義者としては、刺激を受けやすく、たぶんこの人のファンにならなかったらこの言葉知らなかったんじゃないかな?とかこんな考えに至らなかったんじゃないかな?なんて思うことが自分の中で地味にあちこち散らばっていたりするわけです。

 

彼の歌には、夢とか翼とかが沢山出てくるのだけれど、歌に出てくる夢はとても男性的。夢を見続けて、歩き続けるところに浪漫があったり、そしてさらに応援してもらえるような感じでとにかくひたすら男っぽい。

 

夢を見るのは性別はもちろん関係はないし、誰にでも平等なのかもしれない。ただ、叶えるためには、好きで努力することはもちろん、運に依るところが多い…というかほぼ運だけか。

夢も身近な夢から妄想レベルまであるし、生活とのバランスで手にしている職業が夢と同じではなくても、生きている上で常に胸を熱くするものがあるというのは夢を見てるといっていいんじゃないかなと思っています。

 

最高に乗りに乗って夢に一番近づいた時、女性には一番危険な瞬間が訪れる。仕事でも、少しずつチャンスが向いてきて精神的にも体力的にも今が一番充実してると言える時に不意にやってくる。

そして運命は自分の夢を捨てるか、人類としての未来を捨てるかの選択を迫る。多くの人が人類としての未来をつなぐために努力していることも分かっているけれど、何でこのタイミングなのさと。「チャンスの神様には後ろ髪はない」・・・ハゲてるらしいです。

絶望感で言葉にならなかった事を覚えている。仕方がないと諦められるならばそんなに悩むこともないのだけれど、夢だってずっと育ててきたから、そう簡単に割り切れるものでもない。

「夢を見てよ どんな時でも 全てはそこから始まるはずさ♪」なんて聞いても、全ては真逆で落ち込むわけです。

 

思えば、私も母親の夢を食いつぶして生まれてきた。その時になぜ親が熱心に私にゴルフをやらせようとしていたのか改めて気づいた。母親の見果てぬ夢があったからこそ、熱心だったんだろうなと。

私自体は、スポーツが得意な家系に生まれているので、そこそこではあるものの、スポーツで活躍する予感がさっぱりしなかったので、何でそんなに期待しているのかなとも思っていたのだけれど、そうか!親の夢とエゴが乗っていたんだ!と。

ゴルフで食べていくよりも、勉強した方が安上がりだって、冷静に考えれば分かるもんじゃない?なんでそんな非効率なところに投資するの?と不思議でならなかったけれど、それはそれなりの理由があり、我家では逆に勉強すると邪魔されたり。

 

当時の私は、そんな事を懐かしく思いながら、自分の夢を諦め、人類の未来をつなぐ方を人知れず、泣きながら選択した。母親が子どもに入れあげるのは、おそらくこんな事なんじゃないかな。

 

ちなみに、私自身は子どもに夢を乗せるのはエゴと思っているので、私が勝手にやりたいことに向かって走ることにしました。不完全で不器用だけれど、子どもがいることを、やりたいことを制限するための言い訳にはしない。

子どもは自分で走ってくれ…。本当に必要なものは自分から手を伸ばせして掴めという意味を込めて。

一方で、親や一番身近な人達が無我夢中で入れ込まないってことは、裏を返せば、その程度の人材で大化けする可能性は低いんじゃないかと思う。

もう少し普通だったらいいのだけれど、いい意味でも悪い意味でもイカれていて私の理解できない所にいて、普通には何も進んでいかないので、ベストエフォートで対応しています。

 

夢の途中で運命に振り回されてる人へ

・悩み抜いて選択した事にとっても意味があります。

・どちらを選んでもおそらく辛いと思います。

・将来に起こり得る悪い事と良い事を比較するのはフェアではないんでやめておきましょう。

・意外と子育て期間は短いです。

・仕事や夢は他の人とのバランスなので替えがききます。

・子どもと母との関係は替えがききません。

 

子ども時代をやりなおしたり子どもが大人になるその頃までを視野に入れて考えるというのは考え方ががらっとかわって別人みたいになれるのでそれも悪くないなと思っています。